今、好きなシベリウスの交響詩『トゥオネラの白鳥』を聴いています。レコードはカラヤン指揮、1965年録音、レコード番号はSMG-2039です。カートリッジはaudiotechnica AT33VTG。シベリウスの曲は、ほとんどが弦楽器が主要なパートを担い、薄暗い白樺の森か、霧立つ池塘の中を歩むような北方圏の幽玄に満ちています。ミュートをつけた管楽器やピアニッシモの弦が騒ぎ、水面に靄がたつさまが描写されています。
シベリウスの世界は、他の大作曲家たちとは別世界を描きます。若い頃、山歩きを楽しみましたが、北海道の1,000m級の高層湿原に見られる様相が、シベリウスの世界には細密画のように描写されています。ほの暗く霧がたちこめた白樺林や、幽玄の池塘原を描写するのはやはりレコードのように思われます。
独身時代、また、その後単身で人気のない酪農地帯を仕事場とする中で、私は小説と音楽とから多くの楽しみを与えられました。最近、弓を引くにも矢数に制約ある身となって、再びオーディオに楽しみを見いだしています。しかし、この道は際限のない泥沼です。
たとえば、今夜、シベリウスばかりレコードをかけ始めてから3時間になります。最初、カートリッジはFR-1MKVで聴いていました。これは、高域がよく伸びていて、弦をくっきりと描写します。ハイスピードではないのも、曲によってはかえってふさわしいのです。しかし、残念ながら低域が弱いのが弱点です。どうも曲想をドラマティクに描き出すには、低音部の充実がなければもの足りません。
次ぎに、サテンM-21でもう一度聞き直してみようとしましたが、やはりいけません。これはMCタイプなのですが高出力、かつ針交換が可能という優れものです。購入当時は、直接MM端子で受けて、切れ味よくメリハリがくっきりした描写で、かつ針交換が安価なので重宝したものです。しか低出力MCを受ける昇圧トランスをMM端子に繋いでからは、ほとんど使用できません。出力電圧が1.8mVほどもあって、トランスを介した状態ではプリアンプ部が飽和気味となるのか、全体がハイライトになって陰影感が乏しくなります。
今夜、聴き較べて、シベリウスの幽玄と幻想の表情を描写できたのは、次ぎにセットしたAT33VTGでした。ここで本日機器比べは中止して、しばらくシベリウスの世界に浸りながら考えました。危ないぞ、再び泥沼の道に踏み込みそうな……と。
よい音を聴く耳は、贅沢です。際限なく、よりよい音を求めます。しかもオーディオの厄介なところは、よりよい音の機器が存在することです。さらにさらに困ったことは、音の入り口から出口まで、一つのパーツをグレードアップすると、その能力を発揮させるためにはそれにあわせて次々とパーツのグレードを揃える必要が……。それは、まるで無限連鎖のようであり、どこかで満足と納得がなければ、欲求不満を抱えることになります。
今夜のような、試聴はアブナイのです。万が一、ソースを十分に描写しきれないと感じるとき、それは無限地獄の始まり……。
画像は、稼働中のL UX PD-300プレーヤー、S AEC WE 407/23にセットしたAT 33 VTGと、手前はFR-1M KV。
リファレンスはヤマハM C1000ですが、次の候補も考え始めた今日この頃。デリケートと重量感、さらに溌剌とした表現力と、すべてを満たすリファレンスは……。
19th. Feb. '05