T-10 アナログレコードはノスタルジー?

 アナログレコードは、過去には単に「レコード」と呼ばれ、音楽記録媒体として君臨していました。しかし、ディジタル技術が実用化されて以来、CD(コンパクトディスク)に対してAD(アナログディスク)と呼ばれるようになりました。新参者が、併存する過去から技術の呼び方を変えた不思議な事例です。

 先端ディジタル技術を応用したオーディオは、短期間でめまぐるしい技術展開というよりあちこち彷徨ったあげく、戻ってきたのはやはりここでした。漆黒のgrooveに針を落とし……、芳醇なる音の香りに酔いしれる世界、アナログオーディオ。いまも、消えゆく技術をいとおしみつつ、旧くノスタルジックな西部の香りあふれるブルーグラスをAD盤で聴いています。

 こんなフレーズに驚喜する年代層は限られるようです。新規参入のオーディオファンからは、単なる年寄りのノスタルジー、簡単に扱えて良い音がするCD技術こそ優れた技術……、と冷たい視線で見られているのかも知れません。

 Webで、こんな書き込みを見つけました。
「LPは素晴らしいが、その気持ちの中には、青春時代をLPと共にすごした中高年の人たちのノスタルジーが混じっていることは間違いない。そんな中高年はノスタルジーと共に心中しても本望だろうが、ノスタルジーなどない若者は、CDやDVDと共に生き、これから新しい想いでを作るべきだ。
 今から30年後、記録媒体がどのような物になっているか想像も出来ないが、CDやDVDで、LPを超える良い音を出そうと四苦八苦した想い出が懐かしくなる時代が……」

 なるほど……。うなずける点もありますが、必ずしも全面的に賛同できません。技術展開においてハードとソフトは表裏一体。時代の精神が貧しければ、そこで歌われるべき歌も貧しい。貧しいソフトのために真剣に優れたハード開発が行われるだろうか? 実は、最近FMはほとんど聴かなくなりました。ラップばかりが垂れ流し、30年後にラップを聴こうとするオーディオファンがいるのか……? 

 オーディオ文化は、音楽を通して、人間の歩んできた深い精神文化を甦らせ、21世紀に生きる人間に、掛け替えのない魂の栄養を与えてくれる。新しい音楽文化も生まれてくるだろう。オーディオは人類にとって無くてはならない天与の宝物である。春日二郎氏の「オーディオつれづれぐさ」の一節です。

 優れたアナログ技術開発の一方では、優れた音楽があり、これを記録として残すために優れたソフトづくりの挑戦もありました。アナログといわれて思い描くイメージは、まずカートリッジとレコード。数え上げればきりがないほどのカートリッジメーカーがありました。一方で、メジャーレコードレーベルを向こうに回して、マイナーレーベルや、高音質を目指すレーベルもありました。人騒がせなダイナミックレンジで有名なテラーク盤、トリオが全盛期に扱ったシャルランというレーベルなど、耳にするとちょっと聴いてみたくなります。 

 私はアナログレコードはノスタルジーだと開き直って、アナログらしい雰囲気でアナログらしく歌ってくれるレコードを聴き続けています。音楽が好きと言えばいえますが、音楽好きが音楽を聴くのとは少し違うかな、と自覚し始めました。オーディオファンと音楽ファンは必ずしも一致しません。機器を撫でたり、眺めたり、触れたり、そこに密かな楽しみと癒しがあればオーディオファン。そして、のめり込んではいけない、いけないと思いつつのめり込むのがオーディオなのかも知れません。
                                                  27th Apr.'06

 やがて、アナログ盤の製作過程にもディジタル技術を導入して、低域へのfレンジ拡大、SN向上とダイナミックレンジの拡大へと進みました。

 テラークレーベルは、ゴールドジャケットので一時もてはやされました。ソフトの音楽性ではなく、オーディオチェックレコードとして冒険ともいえる録音の故でした。あるサイトに、1812年を再生できますか?と書き込みしたら、いまも無茶な挑戦者がいるようです。私本人はHiphonic MC-A6カートリッジのダンパーを傷めました ^_^;

 ディジタル録音をセールスポイントにするアナログ盤が現れ、このようなアナログ技術とディジタル技術の融合時代を経て、アナログは急速に衰退していきました……。