T-14 軽やかに天空に舞う音響を求めて

 ノイズには、聴感的に感知できるノイズと感知できないノイズがあって、前者はオーディオ可聴域、たとえばレコード溝の埃とスタイラスチップとの衝撃はプチパチノイズとして誰もが感知しますが、しかし頭痛を起こすほどに空間を埋めたノイズは聴覚では感知できません。しかし、これらはいずれも波長を異にする同じ波動ですから、電気増幅再生では電子的に対処できると考えました。

 こんな発言はオカルト扱いされます。Web上の匿名の方から、素人をたぶらかす妄言で、レコード再生とは縁のない「素粒子物理学」の分野だと揶揄されました(笑)。しかし、感知できないノイズは実在し、可聴帯域の音としてではなく、快さを感じられない違和感として体感します。私は、インバーターや音としては感知できない電子ノイズにまみれた、工場に隣接する社宅の電源環境で、悲惨なオーディオ体験があります。

 感知できないノイズとそれに由来する歪みを取り去ることで、高度なアナログ再生の快さを得られるのではないかと、半年ほど試験を繰り返しました。感知できないノイズを遮断するとどうなるか、試験モニターが私一人では心許ない。運良く、オーディオ的先入観やバイアスのかかっていない、しかも優れた聴覚のS氏の協力を得ることができました。U-12話で触れた、アナログLPの音に惹かれて遠方から来訪される方です。

 軽やかに天空に舞う好みの音を求めて、優れた空芯カートリッジに行き着きましたが、好みの音楽ジャンル再生とカートリッジは密接不可分です。YAMAHA MC-1000に始まり、DL-305、DL-1000Aの系譜を辿り、求める再生音響空間を醸し出すのは空芯カートリッジで、多くは0.1〜0.2mV以下の微弱出力でした。その再生を如何に高度とするか試み、回答の端緒となる試作品を実用新案登録出願しました。登録公開は来春頃か、初公開画像の解説はそれ以降とします。

 汗を散らしてドラムを叩く熱気とff(フォルティシモ)の連続、あるいは耳をつんざくようなPAで増幅した音を、空気振動として感じるのがライブファンの理想音響であっても、私はそのとき耳鳴りに耐えねばなりません。そこでマスクされてしまうpp(ピアニシモ)の陰影まで聴きたいのです。
                        8th. Dec. ' 2011

 「20世紀は科学を主体にした物創りの時代だった。しかし21世紀は、物だけの追求で前世紀に失ったものを取り戻す心の時代であろう」。T-08話で春日二郎氏の”オーディオつれづれぐさ”から引用した一節、5年前のメモリーですが今も屡々思い出します。

 20年以上昔Victor開発になるα波発現測定機器で体験した不思議(T-03話)は、快い音響へのアプローチのきっかけとなったできごとでした。快い音響とは何か、これは科学技術なのか心理的オカルト領域なのか、と云うような対立的位置づけではなく、20世紀の産業哲学ではない人間の生存に関わる科学として見るべきと考えます。

 ここ半年あまり、嵌まっている試験テーマに触れます。5年ほど以前に体調を崩して以降、不思議なことに微妙な環境空間の異常を身体で感じるようになりました。たとえば、フロアー全体が見通せないほどの大規模家電量販店では、短時間で流涙と耳の異常、やがて頭痛に襲われます。フロアー内に充満した荷電イオンや電磁波等、雑多な複合ノイズがアレルゲンとなって生じる一種のアレルギーのようです。U-01話「生物学的……」仮説のごとく、生理的イオンバランスが崩れるのかも知れません。

 快い音響とは何なのか? 澄んだ大気、大地にそよぐ風や葉擦れ、清流のせせらぎ、小鳥の鳴き声…… 。これら自然界の環境中には非常に多くの高周波ノイズが含まれていて、録音からそれを取り去ると寂しく冷たい音響しか残りません。音も、光も電波も電磁波もすべては波長の異なる波動であって、オーディオとはそれら空間を満たす波動エネルギーのほんの一部の可聴帯域に過ぎない、と理解すると、オーディオの不思議、快い音へのアプローチとなるのではないか?