ただし、個々のリファレンスカートリッジモデルをあげて比較するには迷いがあります。再生音の微妙なニュアンスの評価は、再生音楽ジャンルや再生装置によって変わり、それぞれのカートリッジ能力を最高度に発揮させる最適な増幅系を誂えるコスト負担は無理で、公平な条件ではないという点です。以下、そのことを自覚しつつも、6N超高純度Silver導体シェルリード線 Zeus と Zeus Spirit の開発過程で感じた、いくつかの常用カートリッジのロングラン音質評価です。
YAMAHA MC-2000、DENON DL-1000A、Luxman LMC-1、これらのネオ・ヴィンテージに対して、比較すべき現代の高額ローインピーダンス・カートリッジには手が届かず、ortofon Kontrapunkt b。イクォライザーはLuxman E-06、DL-1000Aには専用トランスAU-1000、結線ケーブル導体はo rtofon 8Nまたは7・8N、リード線は当然 Zeus &と Zeus Sp.。
MC-2000は、全帯域均一な音質と、決して尖ることのない高域の繊細な分解能と伸びやかさ、低域をほんの僅か持ち上げているようにも感じますが、これは音楽的表現を高めるように思われます。空間表現に優れ、一言で表現すると繊細で自然な再生音です。長期間愛用したMC-1000は、より高域寄りで通俗的ハイファイ音を感じさせますが、低域の深さに差があります。最近、洋盤の再生に最適なカートリッジを選択しようと、イニシャルAから順に比較試聴を始めて、MC-2 000によるアマリア・ロドリゲスの情感のこもったファドの再生は圧巻でした。
DL-1000Aは、MC-2000より高低域がフラットに伸び、何より端正な表現力が持ち味です。音の輪郭に僅かな硬質感があって、如何なる再生でも崩れる感じがありません。女性ボーカルの喉の襞、吐息までを描写して、定位の良い音場空間を再生します。MC-2000とともに、わが国オーディオの成熟技術を代表するネオ・ヴィンテージとして、どんなジャンルの再生でも破綻することのないクォリティです。
LMC-1は、他の3モデルのおよそ半値とロープライスですが、手持ちのローインピー系カートリッジの中で、直接音の明るさ、切れ味とリズム感に優れます。一般に空芯型MCは空間描写に優れ、高級機は透明感やい分解能ですが、 LMC-1は空間に舞う音、明るい再生音が特長です。低域も押しだし良く、しかし芯のある重低音とは異なりよく弾みます。C/Pのいこのモデルがなぜ評価されなかったのか考察して、あるいは先述のカートリッジ能力を最高度に発揮させる条件として、E-06とのマッチングが最適なのかも知れません。
さて、現代カートリッジの走りとなる、Kontrapunkt bの表現力、パワー感と弦楽器の調和に特質があって、空間表現や分解能は劣ります。しかし、先の比較試聴で、アダモのハスキーな男声を最も自然に再生したのは、なるほどと納得でした。日本的な繊細さ基調では、アダモの喉が痩せ細ってしまいます。
13th.Sept.'14
アナログ・オーディオ文化最盛期は'80年代、ソースはそれより少し前 '60〜'70年代までのレコード媒体の時代でしょうか。クラシック・ジャズ界のヴィルトオーゾたち、新興ロックやポップス界のスターたちが華を競い、レコード制作者も熱気あふれる演奏を記録にとどめようと躍起でした。やがて音楽の裾野には、私小説的想いを歌うニューミュージック、TV媒体から泡沫アイドルが生まれ、それらのレコードの多くは一聴していかにも低コストで制作された薄っぺらな音、さすがに制作者は歌い手の実力によって録音にも力の入れ方が違っていたものか。
時代はアナログ録再技術の頂点に達し、より広帯域・低歪みマイクやカッティングマシンの開発、録音に大電力を用いてエネルギー感に満ちた重量盤レコード。わが国のほとんどの電機メーカーは、持てる技術を注いでアナログオーディオの世界で覇を競いあい、その裾野に原音再生の幻影を求めてユーザーが群れました。あれから既に半世紀、私はこの過ぎ去った国産アナログ・オーディオ文化の爛熟期を、ネオ・ヴィンテージ時代と名付けたい。
LPレコード再生上、注目すべきはやはりカートリッジでしょう。ここでもメーカーは百花繚乱、わが国の先端技術と新素材を注ぎ込んで繊細で精緻な幾多の製品が生まれました。その中でも傑出したハイエンド製品は、音楽文化の長い伝統の上に培われた西欧の器機に勝るとも劣ることはなく、私はこれらの製品を『ネオ・ヴィンテージ』、と呼 びたい。さらに、異論を承知で云うなら、自分がリファレンスとして常用しているのはまさにそのネオ・ヴィンテージに値するとの思いがあります。