T-22 オーディオ・トレンド&評価ナウ

 最近のニュースで青少年の暴走は事欠かないが、マイ工房とは縁のない非ユーザーで、友人から試作モデルを借りて、試聴記として暴言の限りを尽くした方がいた。試作モデルは複数のモニターの方から改善すべき課題レポート等いただくが、試験結果を正しく判断するには、所与の条件(前提条件)が必要。これが欠落した論は、STAP細胞事件のごとし結末か。悲しいかな、素人の試聴評価はどんな再生条件なのか、試聴室環境、試聴機器と試聴盤等が明記されていない。それを問うと『沢山聴いたから答えきれない。どんな曲でも再生条件でも、歪みがあってもありのままに再生するのが良い機器』と、歪みのある盤を試聴に供する素人か。

 良い音、悪い音、何が? F特バランス、F特上の歪み、重い音、明るい音、音場の透明感、パワー感と弱音再生能、低域の締まりと緩み、音の弾力感、音の硬さ、音の艶…etc. LP再生では鉄心型と空芯型による素性差もあって、芯のある直接音に対する空気感とか音場イメージは、リスナーの好みに支配される。それら評価に必須の情報はゼロで、どうも対抗ブランドへの応援記か?

 LP再生体験があまり永くない愛好家のようで、気になったのは当人が所有する現代高額機器は万全の音なのだ、という思い込みがある。高額機器の音は素晴らしいとの主張は一面の真実を含むが、高額機器万能の主張は、現代オーディオ趣味を多くの愛好家の手から奪いブルジョア成金趣味に堕しめ、それを煽って儲けを企むメーカーの思う壺。音楽ジャンル、音の好み、リスナーの感性によって求める聴き所が異なることを理解しない。

 勿論高額機器を否定するものではない。それが真に優れた機器開発に投入したコストであり、その成果が実質反映されて愛好家の垂涎の的として存在するのは良い。しかし、それがすべてであってはならず、オーディオメーカーであるなら、エントリークラスからハイエンドクラスまで支払う代価に見あう商品群の提供こそオーディオに裨益する。軽薄短小で事足りるオーディオ環境と、誰でもできるWeb環境での評価評論を危惧する。
                                                    11th.June '15
 昨今のオーディオ環境とトレンド、自転車に乗りながら耳元にヘッドホン、片手でスマホを小器用に操作する姿など悪しき日常風景です。CD時代をスルーして機器はますます軽薄短小、ソフトは配信で重さゼロ。こんなトレンドは、オーディオ旧人の自分とはまったく無縁。オーディオの栄枯盛衰、これが現代の到達点と云うなら断じて受入れ難い。

 旧き佳きLP時代、針は自由に交換できて音質差を愉しめ、やがて磨耗し、少しの取扱エラーで破損する。だから、パーツ生産は永く継続したものを、何を間違えたかCD開発は洞察力に欠けていた。一度入手したCDP機器は、ディジタルの宿命ユーザーには手の付けられないブラックボックス、しかも音質はどうみてもLPより劣る。

 近時のWeb万能環境と狭隘なオーディオ市場、軽薄短小トレンドと配信ソフト等への変化の他に、もう一つ気懸かりな変化は評価評論の担い手。かつてのオーディオ最盛期、機器の評価情報は専門誌媒体を介して、専門知識と知見を有する批評家が担い手だった。彼らの評価にも嗜好があって、例えば国産機器を高評価したり、舶来嗜好だったり、ヴィンテージ嗜好だったりしても、その記述書式は、表現の困難な音質を如何に伝えるかの工夫もあって貴重でした。

 ニューモデル機器入手の流れは、まず専門誌でプロの試聴記を読み、やがて店頭に現れるデモ機を聴いて(または専門誌の推薦を信じて)導入に至る。右の画像は、各時代にS誌に試聴評価が掲載され自分が入手した機器の一部で、それらの試聴記は貴重な情報源でした。しかし時には評論家の高評価推薦モデルをライバル機と聴き較べ、そちらの方を高評価したこともあり、人それぞれの『音の好み』を認識するきっかけにもなりました。高名な評論家の高評価推薦モデルでも、自分のリスニングルーム環境で長時間使用するにはどうかと訝り、名機と評価されたモデルも敬遠した。

 昨今の若手ユーザーはこのような精緻な長文を敬遠か、W ebを軽薄短小手軽な情報ツールとして、誰が発信したか妖しげなブログやツィッター情報を参考とする。さらには、シュリンクした市場の中でWebの情報発信力を武器として結託し、なりすましもあり。仲間同士贔屓ブランドを持ち上げ、対抗ブランドを貶める。オークションでは、出品と入札の自作自演もありか。