弓道を志す者すべて、初心者から上級者までレベルに応じた悩みと課題があります。弓道には、完成とか完結がないから当然です。修練とは、これらの課題を自ら克服するため行う行為です。ただ、初心者が指導者を離れて一人練習することは、我流に陥る懸念があります。各流派先人が長年月かけて完成した「射の理」を理解した後、はじめて修練の道が開けます。
私の場合、五段認許から15年になりますが、称号は受審していません。受審しないことへの批判はあっても、我流で始まった自分の射が称号に相応しくないことを自覚しています。求められるだけの時間、会を耐えるには、押手重視の射であるだけに肩の痛みとも相談しなければなりません。
修練の手法は巻藁稽古で、参段で10年、4段半年間と、以来通算で巻藁3つを潰しました。3〜4年で正面が潰れて矢が立たなくなりますから、裏返して使い、両面が潰れたら交換です。巻藁矢は甲乙一手を用いますが、1〜2年で破損します。最近は、矢竹の表皮加工をしていない丈夫な特製矢を自作しています。
的前には、月1度程度しか立てませんが、夜間僅かな時間でも庭に降りて巻藁行射すると、中たり外れは判定できます。一手の射毎に、甲乙2本の矢が深々と水平に立つと間違いなく的前でも中たりです。矢が斜めに立つ、甲乙の水平が乱れる、矢が浅く立つ。これは、どこかに問題があって伸びがないことの証で、的前でも結果は同じです。
巻藁は、射技の向上と、弓がけ等弓具の改善工夫をする上で欠かせません。ビデオ撮影、高速度撮影によって射の理を考え、ビデオカメラと繋いだモニターTVを巻藁台の上に置くと、自分の離れをチェックすることもできます。
弓の強弱のことは、まだはっきりと結論が出ません。強い弓は、緩みを防ぎ、精一杯引く意識を高め、射に多少の難があっても矢飛びの鋭さによって的中します。中西政次氏の「弓と禅」によれば、全力を尽くすことを求める無影心月流では、初心からかなり強い弓を引かせるようです。
射の理を知り基礎ができた条件の下では、的中率は矢数と比例します。 師匠からは、
1万射をもって射は一段階進むと、矢数稽古の大切さを教えられました。ある条件の下で反射神経を磨くという、スポーツすべてに共通の世界です。しかし、強弓では、100射を超える矢数稽古はかなり厳しくなります。私の場合19kgを引いたときが、矢数、的中ともピークでした。それより強い弓は、体力のありそうな方にお譲りしました。
現在、肩の障害を治療中です。切開によって判明したことは、腱板断裂以外に拇指頭大の異常な増生物が出来ており、上腕骨頭と触れる骨が肥厚していたそうです。現在は引くことはおろか、すべてがゼロの状態です。
より弱い弓を使用すべきだったのかとの、迷いと反省はあります。しかし、弱弓をゆるゆると引いて、ゆるりと離して、静的射型のみ整える女性指導者の方に、会が短い(時間的に)等と指摘されると素直に頷けません。射の目的が違うように思われます。弱弓でも鋭い射は出せると思うのです。しかし、当然弱弓には多くのハンディがあります。今後、弱弓をどう引くか、新たな課題です。