療養のため半年間弓と離れていましたが、5月から練習を再開しました。巻き藁前で12kgから開始し、押手肩に違和感(関節への圧迫感と、その後の強く張った感じ)があって一日休み、翌々日には14k gを引いてみました。何とか、引けるようです。

 その数日後、的前に立ちました。結果は12射3中、矢は全て的下6時に外れました。最後の一本で、ふと矢筋に引いていないことに気づきました。大三からの引分けが、ただ「会の形に入るだけ」の射になっていたのです。

 引き分けの力学で「一番効率的に力が働くのは、力を働かせる方向に対して180度、即ち矢筋に引くこと」と力説しながら、それを忘れていたのです。最後の「矢筋に伸びることに努めた一本」は、失速することなく的中しました。

 肩の痛みを発して以来、中たりを失った原因はまさにこの点でした。肩の痛みを避けようとする意識が、小さな引分け、伸びあいのない小さな射へとつながったのでしょう。改めて、射にとって一番必要な要素は「大きく引く」こと。いかにして矢束一杯に引き、最大の矢束で会を形成するか。即ち、弓に最大の反発力を与えることです。

 さて、職場が変わってオール北海道が仕事場ですから、各地を車で走り廻っています。労働時間は事務処理、経理処理を含めて平均14時間を越えますから、休日はただひたすら休息することと、目と肩と腰の疲れをとることに費やしています。

 弓は、数日に一度ほど、体力に余力を感じた折りに巻藁前に立っています。ひたすら「矢筋に引くこと」だけを意識しながら。現段階では14kgで強い圧迫を感じますが、秋までには16kgまで戻したいと思っています。ピーク時21kgの8割が目標です。

 話は変わりますが、弓を始めて6年目で柴田勘十郎の六分七厘(37〜38kg)と七分一厘(約45kg)を愛用している弓友の方から「教本一巻第一主義」に対するMoonの意見に共感した旨、ゲストブックに書き込みいただきくました。教本一巻を妄信的に信奉し、なにかあると「教本にこう書いてある」、「教本ではこうなっている」という指導に嫌気して、異人となって弓引きの本質を求めたい……と。

 それにしても剛弓です。よく尋ねられるのは、「なぜそんなにごつい弓を引くのか?」。彼の本音としては、「割り箸みたいな弱弓をこねくりまわしてそれが武道か」と。九分の弓を引くのが一人前の条件だった時代の古射法を勉強し始め、改めて昔の人々の知恵と教えの合理性に驚き、力射を超えるには、初めから腕力だけでは引けない弓を使うのがいいと考えているそうです。

 まず、カルチャー弓道全盛時代に、剛弓を引く精神力に敬服しました。70年代半ば、「わしのは武士の殺人弓じゃ」とおっしゃった福岡の宮崎弓具店主を思い出します。強弓の弦音と的中音が同時の鋭さ、そして的中が常にあることは弓人の望みです。古武士の鍛え方に較べると、現代弓人はおもちゃに等しい弓を引いている訳です。^-^;

 剛弓では弦の消耗が激しく、ランニングコストが大変のようです。よく、名人は中仕掛けから弦切れするといいますが、張力20kgに満たない弓で通常の手入れを怠らなければ、筈番え位置に一番の物理的負荷がかかって、ここから弦切れを生じます。

 剛弓ではそうはいきません。弦の繊維全体に破断限界に近い負荷がかかりますから、キンク状になった部分、即ち弦輪の部分の折り目から切れる筈です。お尋ねすると「そうなんです、弦輪の折り目から切れたり、なんと弦輪の中の部分のよじられている部分から切れたりします。一回だけ、下ハズの方の弦輪の折り目から切れ、驚いたこともあります。」とのことでした。

 私自身の経験で、麻弦で21kgを引いていた当時はまぐすねかけを丹念に心がけましたが、弦輪の折り目から弦切れするケースがかなり多かったように記憶しています。