弓道を始めたのは、1960年代初頭の高校弓道。当時は教本の存在すら知らず、先輩から後輩へと伝授された射法で、とにかく国体に向けて当てる弓を練習しました。射法は、先輩の師匠からの斜面打起しDNA遺伝子が流れていて、押手優先、小離れの射法でした。部員そろって皆、この射法で75%の的中をめざしました。当時は精度の低い竹弓竹矢でしたが、それなりに中ったと記憶していますが、裏で「アパッチ」と呼ばれていたことを、後年、他校で弓道をやっていた方から聞きました(笑)

 嘘のような話ですが、当時の審査は、学科が「射法八節を列記せよ」、実技に道着袴は不要、上着を脱いだ学生服シャツ姿で受審OK。まぁ、物のなかった時代です(笑)。後年、社会人弓道を始めてから、昇段試験は我流をなくすることでしかありません。参〜四段の頃でしょうか、人の気も知らぬ指導者にあちこち指摘され、中たりが止まって苦しみました。私的弓道論には、段位称号より良い弓を引きたいと願う思いと、変わった弓暦とが反映しているかも知れません。

 いろいろ工夫と実践はしました。三つがけ、四つがけ、手の内5種、娘が師事していた日置流斜面打起こし……。射の理として、それぞれに納得できる点が多々ありました。ここ十年あまり、腕肩腰足と整形外科通いの障碍多発で、弓を引けなくなったり弓倒しができなくなったり、都度体力相応の弓とそれにみあった重さの矢が揃いました(写真左から14〜19kg)。

 仕事や障碍のため、弓を引けなくなることが度々あり、その間は何かしら弓関係の書物を読んだり(小説も)、気持ちが弓から遠ざかることを避けます。そして、共感した内容でイメージトレーニングをします。本って本当に面白いものです。弓具店に立ち寄った折り、読んだことのない本があったら、試みに買ってみることをお奨めします。

 弓具師の方々には、折りに触れお話を伺います。仕事で6年ほど都城他、九州各地を訪れました。多くの弓師の方々には、弓だけでなく「射」に関するヒントもいただきました。札幌では、亡くなったかけ師の方、御矢師の方の言葉の中にも多くの知恵があります。謙虚に教えを乞うと無理も通ります。時には、不遜にも範士の先生の弓かけ弦枕を拝見させていただいたりもしました。

 三つ児の魂百まで、弓は最初の習いに強く支配されます。師を選び、師を求めましょう。(完)