fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 夕方、めちゃうれしい連絡がありました。ずっと消息がわからなかった藍子(仮名)と連絡がついたのです。藍子が関西スーパーで出会った元同僚の先生に「仲島先生の連絡先を教えてほしい」と聞いたというのです。 7年ぶりかな藍子と話したのは・・・本当に久しぶりでした。 「センセ久しぶりやね。センセ元気。センセ私赤ちゃん出来てんで・・・。むちゃくちゃかわいいねん。そのこと仲島先生に知らせたくて・・・」 「藍子、ホンマ久しぶりやなあ。元気にしていたんか?ずっと気になっていたんや。携帯に電話したら番号が変わったみたいで通じなかったし・・・。ホンマ元気か?」 「元気、元気、心配いらんで」 「赤ちゃんは?」 「もう五ヶ月になるねん。首もすわってしっかりしてきたで・・」 「よかったなあ、ええお母ちゃんやってるねんな」 「うん、がんばってるで」 「今までいろいろあったもんな。楽しいこともあったけど、しんどいことやつらいこともあったしな。藍子ようがんばってきたな」 「うん、前はつらいことばっかりやった・・・・」 その藍子の言葉に涙が出そうになりました。 藍子と初めて会ったのは、藍子が小学校3年の時です。藍子の家庭状況はとっても厳しいものがありました。母と姉、兄、藍子の4人暮らしでしたが、その母がなんと藍子が小学校を卒業する前に突然亡くなってしまったのです。兄弟3人は大阪の親戚に預けられ、一時転校することになりました。その後西宮の親戚宅に住ませてもらえることになり元の学校に戻ってきましたが、厳しい状況にはかわりはありませんでした。 その藍子が中学3年生の時のことです。期末試験の前だったので、学校の帰りに校外学級で、中学校の先生と一緒に数学の特訓をしました。 「晩ご飯を食べたら、またここに来いよ」 「いやや、もう勉強なんかせえへん。もうええねん」 「何言うてるねん、ちゃんと来い!勉強しようぜ!」 「いやや言うてるやろ。もう私帰る!」 と自転車で飛び出して行きました。私も自転車ですぐに追いかけると 「センセ!ついてこんといて!」 「一人やったら危ないから送っていったる!」 「しつこいなあ!」 そんなやりとりで、結局併走しながら一緒に帰りました。 途中で無理矢理ラーメン屋に入り、一緒に食べました。 そしていろいろ話をしていて、夜の勉強会に来られない理由がわかりました。 実は、藍子はこの親戚宅で4人分の食事を毎日作っていたのです。学校の帰りに買い物をして、4人分の料理を作っていたのです。だから夜の勉強会なんか無理だったのです。本当は勉強もわかりたかったはずなのに・・・・・・。そんなことを何も知らない私でした。 親戚宅の前に着いてから、ちょっと立ち話をしました。 「藍子、こづかいはあるんか?」 「そんなんあるわけないやろ。いいねん、私はいらんから」 「・・・・・・・・・」 私は、その時財布に入っていた5千円札をティッシュに包んでやりました。 「家の人には言うたらあかんぞ。これでは足らんやろうけど、なんか欲しい時にはちょっとは足しになるやろ」 藍子はだまって私を見ていました。 そして、そこで別れ、私は自転車で坂道を下っていきました。曲がり角でふと後ろを振り返ると、藍子が手を振ってこっちをじっと見てくれていました。 その曲がり角を曲がった途端、涙があふれて、あふれて・・・自転車がこげなくなりました。 その藍子が中学を卒業してから連絡が取れなくなってしまったのです。友人に聞くと大阪に行ったとか東京に行ったとか、結局誰も知らなくなってしまいました。
電話で話したあと、夜に藍子からメールが入りました。 「先生電話ありがとうね。私もめっちゃうれしいわぁ・・。仲島先生と小屋敷先生には子どもが出来たこと、どうしても伝えたかってん。いろいろ思い出あるからねぇ。 私お母さん頑張るよぉ〜。ずっと夢やったもん、ママになるの。 先生、私幸せやで。 じゃ、おやすみなさ〜い。」 なんだか今夜は興奮してなかなか寝られそうにありません。
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