fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 今年も人権週間が始まりました。 私もそんな中、人権の講演をすることが多いのですが、先日ある所の人権講演会で、 あまりに腹が立ったので、つい講演の冒頭にきつく言ってしまいました。 私の講演の前に、子どもたちの人権作文の朗読がありました。小学生、中学生、 高校生、大学生の感性豊かな発表に私は心が打たれました。 ところが、会場を見渡すと、下を向いている人、目をつぶっている人、 寝ている人がちらほら見えるのです。私はムカつきました。 そばに行って「頭引っ叩いたろうか」と思うくらいでした。 私の講演の冒頭は、その文句からでした。 「同和教育が人権教育と表現が変わっても、まだまだ現実には差別は残っています。その差別を残している犯人を私は知っています。それは『大人』です。子どもたちは学校で一生懸命に勉強しています。なのに最終的にそこに偏見のシャワーを浴びせるのは大人たちです。大人が変わればこの教育は一気に進んでいくのです。この教育は大人にかかっているのです。 先ほど、子どもたちが一生懸命に人権作文を読んでいた時、下を向いていた人、目をつぶっていた人、寝ていた人に私は腹が立っています。目をつぶりながら聞いていた、と言い訳するかもしれませんが、子どもはそんな大人の姿をどう思うでしょうか。子どもたちがあんなに真剣に語っている姿を、目をバッチリ開けて聞いてやってください!子どもたちの願いや訴えをしっかり聞いてやってください!それが大人の役目です!」 遠くから私をわざわざ呼んで下さったのに、最初から嫌な雰囲気にさせてしまいました。でも言わずにはおれなかったのです。 昨日、部落差別を真正面から描いた「太郎が恋をする頃までには・・・」の作者である栗原美和子さんの講演会に行ってきました。 栗原さんのお話は淡々と始まりましたが、途中で急にトーンが高くなったり、涙を拭きながら語られます。つい最近の出来事が出てきます。今なお続く差別の現実にショックを受けます。 我が子でもない子どもにも愛情をいっぱい注ぐマザーテレサのような自分の母親が、栗原さんと村崎太郎さんとの結婚に関しては、猛反対して、親子の縁を切る、とまで言わせた悲しい現実に 「なんで!なんでなの!」 と叫ぶ栗原さん。 島崎藤村の「破戒」は明治の話、住井すえさんの「橋のない川」の話は大正の話だったのです。あれからもう100年です。もう時代は大きく変わったのです。社会は著しく発展したのです。なのになぜ部落差別は変わらないの?なぜマスメディアはタブー視してとりあげないの?なぜ正面から向き合わないの? 「太郎が恋をする頃までには・・・」(幻冬舎) の発売後、 この本の書評は、どこの新聞社も、どこのテレビも取り上げようとしなかった事実。 発売後、村崎太郎さんのテレビ出演等にキャンセルが出たのはなぜ? なぜこの問題にしっかりと向き合おうとしないの! 「歩く水平社宣言」として全国で差別の問題を語る川口泰司さん。 川口さんは、自身のブログで自分の思いや考えを思う存分語ってくれていたのですが、 半年前に突然ブログを休止せざるを得なくなります。何があったのか? 川口さんの友人にこんな人がいました。 その人は、大好きだったおじいちゃんから、激しく結婚差別を受けます。 「なぜあの優しいおじいちゃんが・・・信じられない」 その人は深く傷つきます。 やがて年月が過ぎ、おじいちゃんが亡くなった時、その人は泣きます。 大好きなおじいちゃんが亡くなったのはとても悲しい。でも・・・・・ これで差別する人が一人少なくなった・・・・・・そう思ったそうです。 大人が変わらなあかん! 心底そう思います! 栗原さんが最後に話されました。 「でも今少しずつ動き出しました。。これから変わるかもしれません。 村崎太郎の生き様を、部落差別を、今あのNHKが番組にしようとしているのです」 川口さんがブログを再開しました。 川口さんらしいコメントがまた帰ってきました。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。
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