fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 1995.1.17 阪神大震災から15年が経ちました。 昨夜のTV 「神戸新聞の7日間」 は、涙が止まりませんでした。 やはり思い出してしまいました。 あの日5時46分、我が家にも震度7が襲いかかりました。 あっと間に私たち家族4人は、家具の下敷きになりました。 娘はすぐに手で覆ったのですが、息子は手から外れてしまいました。 「ゆうすけ!」 すると暗闇の向こうから 「おとうさん!」 ・・・・よかった、無事だった・・・・・・頭にかすり傷はありましたが・・無事でした。 よかった、本当によかった・・・・・家族4人は生きていました。 夜が明けてから、あらためて家の中を見ると、 こんなに散らかせるのかというぐらいのひどい状態でした。 (我が家は半壊。水道復旧は3月中旬。自宅風呂に入れたのは5月中旬でした) 家族が何とか落ち着いたあと、私は学校へ向かいました。 行く途中、いたるところで家や電柱が倒れています。 サイレンが鳴り、ヘリコプターが飛んでいます。 N君の家の前で、N君もお父さんもお母さんも埃まみれの顔で 「おばあちゃんがダメでした・・・・」の声を聞きます。 S君の家の前では、お父さんが悲痛な叫びで・・・ 「Sと妻がまだ中に・・・・」 でも救助隊は、埋もれている2人の反応がないのを確認すると 「お父さん、ごめん・・・・。助かるところから救助に向かいます」 お父さんの泣き崩れる姿が・・・・辛くて・・・・ (一人残されたお父さんは半年後、仮設住宅で亡くなりました) 学校には約1000人の避難者の方がやってきました。 そして遺体が次々に運び込まれてきます・・・・・。 悲しすぎると・・・・涙はまったく出ないのです。 ただ、ぼう然として・・・何が何だか分からず、 でも何かしなければ・・・・・・・ (私の学校は、1月17日から8月31日まで7ケ月避難所になっていました) 新聞に載る死亡者の名前は見たくないけど・・・・・・そこに見つけてしまいます。 幸田修一・・私の恩師・・・・七尾方子・・私の教え子・・・・・・・・ 15年経っても、まだまだ悲しみはなくなりません。 1月17日午前5時46分 黙とう。
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