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2010年3月18日
いつまでも教師
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1982年(昭和57年) 3月30日 朝日新聞 「声」 より
 
  〜「42年間の教師生活、お母さんご苦労さま」〜
 私の母は、3月末で42年間にわたる教師生活を終えます。
42年と一口で言っても、それはそれは長いものです。
その間に戦争があり、結婚、出産、子育て、子宮がんとの闘い、
子どもの結婚、孫の誕生と、女として、母として、さらに教師としても、
私には想像もつかない苦労があったと思います。
 朝早く起きて家事をすませ、皆より早く家を出て
夕方遅くに重い荷物を持って帰ってくる母。
夕食の後片付けをすませ、
家族が寝静まってから持ち帰った仕事をする母。
 私は卒業式に一度も母に来てもらったことがありませんでした。
母もちょうど自分の学校の卒業式などと重なっていたからです。
でも不思議と一度も不満に思ったことはありませんでした。
今考えれば、何に対しても真剣な母の姿を見ていたからだと思います。
 そんな母を見て育った私も、今、母と同じ道を歩んでいます。
お母さん、42年間、本当にご苦労さまでした。
          (宝塚市 仲島正教  小学教員 25歳)
 
 
今から28年前の懐かしい記事です。
母に、面と向かって 「退職おめでとう」 と言えなかった私が考えた苦肉の策でした。
 
 
そんな母も今年で86歳になります。
先日そんな母に、かつての教え子たちから同窓会のお誘いがきたようです。
終戦の年に、5年6年を担任した子ども達からです。(出石・弘道小学校)
「内藤先生、絶対に来てくださいね。自宅に迎えに行きますから・・・」
と何人もの子から電話があったそうです。
電話では、懐かしい思い出もいっぱい語ってくれたようです。
「出来ない僕にも、いつも漢字をていねいに教えてくれたよ」
「けんかをしたときは、家に来てくれて、私をかばってくれたんです」
「中学校の試験の時は、内藤先生が自分の家にみんなを呼んでくれて
 わざわざ勉強会を開いてくれたんです。そのおかげでテストもできました」
 
母は、そんな教え子たちからの電話を、私に楽しそうに話してくれました。
「あの子はこんな子で・・・あの子は大人になってこんな仕事についたの・・・」
と話す様子は、完全に教師の顔に戻っていましたね(笑)
 
「ところで、その子たちは今何歳になったの?」
「今、77歳よ」
「えっーーーー」
「その時私が20歳、あの子たちは12歳だから・・・・」
 
すごいことですね、ホンマに・・・。
そして教師の仕事って、
本当にいいもんだなあって改めて思います。
 
母にはまだまだ長生きしてほしい、
そう強く願うばかりです。
 

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Posted by naka602 at 23:48 | TrackBack (0)
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