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2011年6月4日
出会い と つながり
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兵庫県丹波市氷上町石生に行ってきました。
石生は「いそう」と読みます。ここは分水嶺があるところで、兵庫県の川はここから
北と南に流れていきます。
 
石生(いそう)にある東小学校のPTA講演会だったのですが、
この学校の徳田教頭先生は、16年前に文部省海外短期派遣の兵庫県教員団で
カナダ・アメリカ(16日間)に一緒に行った仲間です。久しぶりの再会でした。
実は徳田先生と私は、なんと生年月日が一緒なのです。1956年6月2日生まれ。
そうです、徳田先生もゴーゴートクダです(笑)
 
この日の講演会には、PTAのほかにも地域の方々が参加してくださったのですが、
会場の真ん中で、私の講演を優しいまなざしで聴いてくださっていた方がいました。
毎朝子どもたちを学校まで送り、地域の自治会新聞をつくってみんなをまとめている
66歳のおじいちゃんです。
この方こそ、ナント私の中3の時の担任の里則男先生です!
「広報に仲島の講演案内が載ってたぞ、4日は行くからな。そのあとも付き合えよ」
と電話をいただいていました(笑)
 
私への年賀状には 「教育は足でかせぐもの」 と毎年書き続けてくださった恩師です。
教師としての基本的な姿勢を、私は里先生から学びました。
また私の学級通信のモデルは、里先生が出していた学級通信でした。
 
中学時代私たちは15歳、里先生は26歳。 (たった11年しか違わなかったのです)
担任2年目の若手だった里先生が、元気でやんちゃな3年4組の生徒たちに対しいつも
全力でぶつかってきてくれました。迷惑もよくかけ、学年主任の先生に怒られていたこと
もあったようです。里先生は少し強面で厳しい先生ですが、とっても優しい先生でもあり
ました。数学が苦手なA君を別室で、よく個別指導をしていたのを私たちは知っていま
した。だからこそ、3学期の入試前には、私たちが交代交代で、Aに勉強を教えること
もしてきました。
その後、里先生は教育委員会、小学校長を経て最後は、中学校長で退職されました。
 
里先生とは、退職前と退職後に出会っていましたので、今日は3年ぶりの再会でした。
午前中の講演会が終わったあとは、里先生の家におじゃまして、少し休憩をしてから
車で舞鶴道を走り、京都府福知山の温泉に行ってきました。いわゆるスーパー銭湯
なのですが、元々は大きな屋敷の料亭だった所なので、露天ぶろの向こうにはきれいな
庭園があり、その向こうには山が見え、緑あふれる風景に心がいやされます。
心地よい汗をかきながら66歳の恩師と55歳の私が裸でいろいろ語り合いました(笑)

夕方からは、里先生の家の近くの店で、おいしい料理とおいしい地酒をいただきました。
若いママさんとの話も弾みました(里先生はこんな女性が大好きです(笑))
そこへ里先生と幼馴染の方が、孫を連れて飲みに来られたのですが、話をしていると
その孫は、私の教え子(社高校野球部主将)のチームで1塁を守っていた後輩だったの
です。私は教え子の試合も観に行っていたので、彼のこともも見ていたのでしょうね。
いろんな出会いと不思議なつながりに本当にびっくりしました。
 
 里先生から、飲む前に「キャベ2」を飲まされましたが、おいしい丹波の地酒にすっかり
酔いがまわり、帰りの電車は寝てしまいました。(もう少しで乗り越すとこでした)
 
今日は本当に楽しくて、充実した一日でした。 感謝!
 
 

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Posted by naka602 at 17:15 | TrackBack (0)
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