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2016年2月19日
足を運ぶ
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今朝の新聞の教育欄は「SNS 注意点を学ぼう」という特集記事でした。大学の講師や学生が中学生に特別授業をしているという内容です。
「ネットは相手の状況が見えないので誤解されやすい」
「相手がどう思うか、よく考えて投稿する」
「同じ言葉でも、スタンプにより、伝わり方は様々」

その記事を読みながら、以前に見た6年生の研究授業を思い出しました。
若い教師の道徳の授業でした。

題材名「相手に思いを伝えたはずなのに・・・」
どうして本当の思いが伝わらなかったのか、どうのようなことに気をつけな
ければならないのかを話し合ってみましょう。

 ぼくと健太はサッカー仲間だ。
いつも「ボールいくぞ」「おおっ」「だめだなぁ、しっかりやれよ」
「何言ってんだ。ちゃんと球を送れよ」などと言いあいながら、サッカーを
楽しんでいる。ひどい言い方だと周りから言われるけど。心が通じ合って
いるから平気だと思っていた。
 ところが、ある日の試合で、ぼくのパスを健太が取りそこねて転んでしま
った。おかげでチームは負けてしまった。ぼくは、落ち込んでいる健太を
はげまそうと、すぐにメールを送った。しかし、返事も来ないし、次の日か
らの健太の態度がどうもおかしい。ぼくをさけるようにしているのだ。
ぼくは真司にメールを見せて相談した。すると真司は「こんなメールが来たら、
だれだって落ちこむよ」と言った。いつもの言葉なのにどうしてだろう。ぼくは、
メールを見てもう一度考え始めた。

件名:ちゃんとやれよ健太
今日は残念だったな。せっかく
おれがいいパスを回したのに、
かんじんな所で転ぶなんてだめ
だな。試合にも負けちゃうし。
でも、けがしなくてよかった。
次の試合ではちゃんとやれよ。


この授業では、このメールの言葉が相手を傷つけたということで
どんな言葉にすればいいのか、どんな書き方にすればいいのか
という展開で進んでいきました。
さらに授業の最後の方では、教師からの助言で「スタンプ」もいいね、
という言葉も出ました。子どもたちもそうだねと言う感じで笑顔で
授業は終了しました。
今朝の新聞記事とも共通点がありました。

でも、私はこの授業には、クレームをつけました。
「こんな授業はアカン」と少々強い口調で言いました。

この道徳の授業は、二人の関係の解決策として
「メールの言葉に気をつけよう」という書き方だけの方法つまり書き方講座であり、
マナー講座にしかすぎないのです。こんなのは道徳の授業ではないのです。
もっと子どもの心を揺さぶる展開にしないとダメなのです。
このメールの文面についても、教師自身が最初からこれは「傷つく文」ととらえ
ていたなら、それは明らかに研究不足です。
これを「傷つく文」ととらえる子もいれば、これは「とてもいい文」ととらえる子が
いてもいいはずです。もしいなければ、教師がそこを突かないといけません。
私は、このメールの文には「ぼくの本当の優しさがにじみ出ている」と思います。
だってアカンことはアカンとしっかり言いつつ「でもけがしなくてよかったな」
の言葉が最後にあります。これこそ本当の友達だと私なら思います。
本当の気持ちも書かずに「まあまあ」と傷のなめ合いをしているような関係は
本当の友達ではないですからね。

二人の関係の解決策として、もちろん文の書き方も考えたらいいのです。
これからはSNSの時代ですから、とても大事なことです。
でもそれだけで終わってはいけません。もっと教師はここをツッコまないと
いけません。「解決策はそれだけか?ほかにないか?」って。
そんな時に教師から「スタンプもあるよ」はもってのほかです。
子どもからスタンプって出るのならまだしも教師から出すのは絶対にNGです。

教材文の中に「ぼくは真司にメールを見せて相談した」とあります。
そう、ぼくと真司は二人で話をしているのです。会って話をしているのです。
子どもたちに、このことを気づかせれば、必ず
「ぼくと健太も会って話をすればいい」という解決策も出てきます。
そう、解決策はいろいろあるのです。

でもそんな時に、
「会って話すのがいいのはわかっているけど、会いにくい」
そんな意見も出るでしょう。そこに本音と建て前の葛藤が起こります。
「どうしよう?」「どうしたらいいか悩んでしまう」
それが大事なのです。すると、もしかしたら
「会いにくいのだったら、俺が声をかけてやるよ」って真司が調整役をして
くれるかもわかりません。そう、その後の展開もいろいろなのです。
そんな話をしながら「自分に気づき」「友だちに気づき」「学級に気づく」のです。
そして自分の生き方を見直すのです。

道徳の授業とは、1時間の授業の中で「こうでないといけない」と結論を出す
のではなく「考えるきっかけ」「考える視点」を子どもの心の中に作ってやる
ことなのです。葛藤する心のスイッチを設置してやるのです。
「いじめはダメ」そんな結論は子どもたちもはじめからわかっています。
それでもいじめはなかなかなくならないのです。子どもたちも苦しんでいるのです。
でもこんな道徳の授業を地道に続けていけば、いつか「心のスイッチ」がONに
なり、行動が変わっていくのです。それが道徳の授業の成果です。


最後は話が道徳の話になってしまいましたが、
今日のブログで一番言いたかったことは
若い先生に「足を運べ」ということです。
SNSの時代になろうが、やっぱり「教育は足でかせぐもの」ということです。

子どもにスタンプも与えるのもいいですが、
そばに行って、肩を抱いて話を聞いてやってほしいのです。
保護者に連絡帳や電話もいいのですが
たった5分間でも家庭訪問をして顔を合わせて話をしてほしいのです。

そんな教師に学んだ子どもたちは
きっと「足を運ぶ」人になってくれるでしょう。


「足を運ぶ」は、どんな時代であっても「素敵な行動」なのです。



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Posted by naka602 at 08:52 | TrackBack (0)
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