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2017年4月16日
先生の計画乱しちゃダメ?
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私はこれまでたくさんの研究授業をしてきましたが、忘れられない授業の一つにこんなことがありました。あれは新任5年目27歳の時です。5年国語「富士は生きている」(説明文)でのことです。

初めての説明文の研究授業でしたので、本も購入しいろいろ勉強も
しました。教材の中心となる富士山についてもたくさん調べました。
静岡県観光協会と山梨県観光協会の認識の違いも発見しました。
「ノストラダムスの大予言」も読みました。
当時まだ普及していなかったビデオも作りました。β版です(笑)
そして綿密に指導案を書きました。

なのになのに、研究授業本番は、計画通りにいかずに指導案の半分しか
進みませんでした。せっかく作ったビデオも見せることなしでした(涙)
あ〜あぁと落ち込む私でした
事後研究会では、指導計画が甘かった、教材研究や子ども理解が不十分
だったとダメ出しがたくさんありましたが、
実はこんな意見も言ってもらったのです。
「教師が子どもの発言をよく聞いていた。教師のペースではなく、子ども
のペースで授業が進んでいた。それがとてもよかった」
「研究授業では、指導案通りに進めたいものだが、それをしなかった先生は
えらかった」 (※ホントはしたかったのですが・・)


後日、私の師匠でもある土谷正規先生(元奈良女子大附属小副校長)から
「精一杯作った指導案。私たちが目指すのはその指導案をこなすのではなく、
その指導案を超える子どもを育てることです。教師が想像出来なかったこと
を言える子どもを育てることです。授業は教師と子どもの競い合いです」



さて、
昨日(4/15)の朝日新聞「声」の欄です。

「先生の計画乱しちゃダメ?」(中学生 ○○○○ 東京都14歳)
5年前の道徳の授業のことでの体験です。あるスポーツ選手のインタビューについて、話し合う授業でした。先生は授業のプランとして、インタビューについて補足説明をして、私たち生徒が賛同した意見やインタビューの内容から、どのように日々の生活に役立てるかを話し合うようにしたかったのだと思います。
 賛同できる内容はありました。でもどうしても納得できない部分がありました。それは、信じる心が自分の未来を拓くという内容に対し、疑う心も必要だと思ったことです。言わないで授業を終えることも出来ました。でも、私はそれを発言したのです。
 話し合いの場だから、反対意見もあっていいと思ったし、あったほうが授業の内容がもっと深まると思ったからです。ですが、私の意見を聞いた先生は、私の意見がなかったものにするかのようにサラッとながしてしまいました。
 先生からすると自分のペースを乱される都合の悪い発言だったのかもしれません。でも、私にとっては大きなことでした。だから、今も心に残っています。授業とは先生の思い通りになればなるほどいいものなのでしょうか。



「あ〜〜痛いところを突かれた!」
それが教師の本音でしょうね。私も偉そうに言いながら、この先生と同じ
ことをしていたかもわかりません。教師は乱されたくないのです本音は。
でもでも・・・それではダメなのですね。
「乱されたくない」でも「乱すぐらいの子どもを育てたい」
この葛藤で教師は成長するのでしょう。


来年度から道徳が「特別の教科」になり、通知表に「評価」が書かれます。
最近、道徳の教科書が話題に上がっていますが、スポーツ選手の美談もたく
さん出てきそうです。きっと浅田真央さんの話も載るでしょう。
どんな道徳の授業になるのでしょうね。
どんな評価がされるのでしょう。

私は今でも道徳の教科化には、絶対に反対です。




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Posted by naka602 at 10:50 | TrackBack (0)
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