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2017年11月1日
上からの「スタンダード」
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先日の新聞に載っていました。・・・教育現場に「スタンダード(標準)」が広がっている。教育委員会から教員に授業方法を示す「授業スタンダード」から、学校が教員に指導の統一を求める「教員スタンダード」、教員が保護者に持ち物の基準などを伝える「保護者スタンダード」まで登場した。なぜ、いま、スタンダードなのか?


実は先日、私はこんな報告をききました。
A市のB小学校は「B小スタンダード」を実践し、全国学力調査の結果を
向上させ、A市のいいモデルとして紹介されました。

B小では、主体的・対話的な学習(アクティブラーニング)を推進していく
ために学習の流れを「スタンダード化」しました。
「見通し・めあて」⇒「一人学び」⇒「ペア・グループトーク」⇒「交流」
⇒「ふり返り」
 
全学年全教科の授業がこのスタンダードに沿って進められます。
教師は迷うことなく指導ができますし、子どもたちも学習をスムーズに
進めていくことが出来ます。これは教師にも子どもにも好評です。
その上、全国学力調査の結果も向上しました。

「これはとてもいいことだ」 
そう思う人が多いでしょう。
私も実際の授業を見ました。生き生きとした授業が進められ好感がもて
ました。素晴らしい実践だと思いました。

でも、私はこれに満足してはいけないと思うのです。
今の様子は、子どもたちが、レールの上に乗せられスイスイ進んで
いるだけです。それは子どもだけではなく教師もレールの上を進ん
でいるだけです。どっちも楽チンな道を進んでいるだけです。

私が育てたいのは
例えば、先生が「一人学びをしましょう」と順番通りに指示した時に
「センセー、僕は今、みんなの意見が聞きたいんだ。一人学びより、
グループトークがしたいんだ」と堂々と言える子どもを育てたいの
です。「レールから外れて、もっと自分の思いを実現したいんだ」
という子どもを育てたいのです。
そして教師も、目の前の子どもたちを見て、レールを壊す勇気を
持ってほしいのです。

レールの上を走る子どもや教師ではなく、道なき道に出会った時
「レールがない」と嘆き、諦めるのではなく、よしここからは自分で
道を作るぞ、とブルドーザの運転手になってほしいのです。
今の「B小スタンダード」に満足するのではなく、もう一歩進んで、
最終的にはブルドーザの授業を目指してほしいのです。
それが人生を生きる力だと思うからです。
それが教育の本質だと私は思っています。


新聞には、東京大学教授の勝野正章教授のコメントが載っていました。
「全国学力調査の結果を受け、学力向上を目指す自治体が、秋田など
調査結果の上位県のスタンダードを参考に作成する例が目立ち、多く
は横並びになっている。
 教育委員会や学校のスタンダードは、教師が参考にする程度なら、
教育の質の向上につながるかもしれない。だが、マニュアルのように
使われれば、指導が画一化する恐れがある。スタンダードに沿って学習
規律を求めるなら、発達障害や外国籍の子への配慮が欠けてしまう。
 何より問題なのは、教師がスタンダード自体の内容がいいかどうかを
吟味しなくなることだ。教師が自らの裁量が失われていることを自覚し
なければ、行政の管理が進みかねない。」


こんな記事も載っていました。
教育委員会からのスタンダードには、若手を中心に歓迎する声が多い。
大阪の中学校教員(24)「何が授業の要かがわかり、不安がなくなる」
東京の小学校教員(26)「学校で目標を決める手間が省ける」


授業のやり方は、教育委員会が決めるのじゃないよ〜
授業のやり方は、教師自身が目の前の子どもを見て考えるんだよ〜

そんな上からのスタンダートを歓迎する若手教師が多いって・・
あ〜〜〜これではダメだ〜〜〜
そんな教育委員会もダメだ〜〜〜〜


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Posted by naka602 at 17:00 | TrackBack (0)
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