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2019年1月4日
巨星墜つ
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年に1回の年賀状ですが、近況がわかるので、すごく懐かしく、とても嬉しく、そして会いたくなるものです。でも時々悲しいこともわかってしまいます。

全然知りませんでした。
私の大師匠である土谷正規先生が亡くなられたことを。

ちょうど1年前にお手紙をいただいた時は、
達筆で、まだまだ衰えぬ教育への思いがたくさん書かれていました。
「もうすぐ100歳を迎えます」
そんな言葉もありましたが、私の中ではそんな感じは全くしなくて、
あの日野原重明先生の姿とダブって見えるほど元気な姿しか想像でき
ませんでした。
昨年11月に、99歳で天国へ召されました。

土谷先生と出会いは、私が25歳の時です。
淡路島の石屋小学校での研究会で講演されていたのが土谷先生でした。
講演で話される一言一言が、私の心の中にぐんぐん入ってきました。
今でもその時の衝撃は忘れることができません。まさに運命の出会いでした。
それ以来、ずーっとずっと土谷先生の下で勉強をしてきました。
月に1回は奈良に行き、土谷先生の話を何度も何度もききました。

土谷先生が研究会の講師に呼ばれると、私も付いていきました。
カバン持ちのようにそばで話を聞いていました。
カバン持ちと言いながら、土谷先生のカバンは持ったことがありません。
土谷先生は「自分の物は自分で持つ」。人に持たせることなど一切しない
先生でした。(法則化の向山先生は弟子に持たせていました、偉そうに)

私の教育の源は「土谷教育」です。

「子どもの躍動を望むなら教えないことです。教師が指示・教示をして
 子どもが『出来た』と喜んでいる姿は躍動ではありません。
 指導の半分は我慢して待つことです。あとの半分は子どもの中に
 飛び込むのです」

この土谷先生の言葉は、私の授業づくりの原点です。
だからこそ「法則化運動」や「授業のスタンダード化」について
私は異議を唱えるのです。あれは躍動ではない、と。

私の講演のスタイルは、実は土谷先生の真似なのです。
土谷先生は、研修会の時も、身振り手振りでお話をし、時には机から
離れて、這いつくばる姿を見せながら、話されるのです。
普段は背筋をピンと伸ばして歩く土谷先生が、授業になるとこまねずみ
のように動き、子どもの横に寝そべり、子どもの気持ちを理解しようと
されるのです。

私がよく言う「かまぼこ先生」は
土谷先生からいつも言われていたことです。
黒板の板から離れなさい、かまぼこ板のような先生はダメです。
あの子のそばに自分から足を運ぶのです。
集合する時は、一番遅い子のそばで合図をかけるのです。
クラスで一番しんどい子が目を輝かせる授業をつくるのです。
私の同和教育、人権教育は、この土谷教育が元になっています。

土谷先生は、長らく奈良女子大附属小で教鞭をとり、私がお出会い
した時はすでに退職し、奈良文化女子大教授をされていました。
附属小では岩井邦夫先生(現東海学園大学)が土谷教育を継承され
ていました。
土谷正規⇒岩井邦夫⇒仲島正教⇒元気塾⇒全国講演 
が私の中での継承図になります。


かつて体育の世界では「東の高田典衛、西の土谷正規」でした。
そんな二つの大きな星がとうとう見えなくなりました。

「巨星墜つ」

土谷正規先生、
これまで本当にありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。

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Posted by naka602 at 22:26 | TrackBack (0)
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