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2019年1月18日
あの日は忘れられない その2
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阪神淡路大震災その2です。その1は朝に更新しましたが、午後からこんな連絡が入りました。「神戸新聞に載ってますよ」って。

「神戸新聞NEXT」と検索して、
阪神淡路大震災関連の記事の中に
「高校の講演会で偶然知った 震災死した祖父の功績」
という表題がありますので、読んでみてください。

ここに詳しい説明は書きにくいのですが、
昨年11月に、西宮北高校での私の講演から、
一つの縁が紐解かれていくという記事なのです。

幸田修一校長⇒(同じ学校)⇒仲島⇒(講演)⇒幸田校長のお孫さん

ぜひ神戸新聞NEXTを読んでみてください。
※神戸新聞1月17日夕刊に掲載

記事には書いてありませんが、
実はこんな流れがその前にあります。

上司・仲島父⇒(同和教育部)⇒部下・幸田修一

私が大学生の頃、私の父と幸田先生は西宮市教委同和教育部で
「芦原小学校発展的解消」という大きな事業を一緒にしていた仲間です。

こんなこともありました。
父と幸田先生の2人で但馬に出張中に突然、父は脳血栓で倒れました。
その父を幸田先生はすぐに病院に連れて行って下さいました。
それで父は助かりました。幸田先生は父の命の恩人でもあります。
それから10年後、私が勤務していた平木小に幸田先生が校長として
赴任して来られたのです。この巡り合わせにも驚きます。
そして、その時に「優しい」という意味を教えて頂いたのです。
それを私は講演でいつも話しているのですが、今回西宮北高校で
幸田先生のお孫さんが聞いていたということです。

天国の幸田先生、
そして天国の父にも
報告したい新聞記事でした。

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Posted by naka602 at 22:32 | TrackBack (0)
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