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2016年10月26日
全力投球し過ぎ
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今日は、母校大阪教育大学の学生対象のキャリアガイダンス講座に招かれました。教養学科の就職対策、教員養成課程の教員採用試験対策の話のあとに、私の「仕事・教師」という60分の講演でした。

私が大教室(200名)に入った時、教員採用についての話を
竹島アドバイザー(元・中学校教師)がしていたのですが、私は思わず笑って
しまいました。
竹島先生は、コテコテの大阪弁なのです。ホンマもんの大阪弁です。
「これはあかんで〜。そんなん悩んでいる暇はないねん。やっていかな・・」
と次々に大阪弁の口語のオンパレードです。こんな大学の先生はいない、これは
完全に大阪のおばちゃんのしゃべりや、と私が思っていたら、
竹島先生自身が「私は大阪のおばちゃんやから」と自分で言うのです(笑)

それを受けて、
私の講演のスタートは
「大阪のおばちゃんに続いて、次は大阪のオッサンの話を始めま〜す」
と私もノリノリで講演を始めました。
私の大阪弁トークも炸裂です。
あちこち動きながら、紳助のような早口トークに、笑かしトークに学生も
笑うし、目の前に座っている竹島先生も大笑いです。
その反応に、私もノッてきて、どんどんエスカレートしていきます。
もう全力投球を超えて、普段の140%ぐらいかな(笑)
そして最後のちょっとええ話に学生たちも涙を浮かべます。
これは「松竹新喜劇」です(笑)
講演時間は60分。目の前の大きな電波時計が分、秒を刻むのが見えるのです。
最後はアナウンサーのように、時計の秒をみながら、終了です。ナントナント
1秒の狂いもなく、60分00秒で終了しました。すごい!

いくら大阪教育大学といっても、学生は地元大阪だけではなく全国各地、
地方から来た学生もいるので、この二人のコテコテ大阪弁にはびっくりして
いたと思います。 さすが大阪です(笑)これぞ大阪です(笑)


母校に招かれて嬉しかったこと、
竹島先生のしゃべりに笑ってしまったこと、
学生がノッてきてくれたこと、
そんな好条件(笑)がそろったので、私もめちゃめちゃノッて、
それはそれは一生懸命?に話をしました。
全力投球し過ぎでした(笑)

あ〜疲れた。


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Posted by naka602 at 00:40 | TrackBack (0)


2016年10月23日
鳥取県の地震
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21日の鳥取の地震の件では、みなさんにご心配をおかけしてすみませんでした。私のスマホに「大丈夫ですか」メールがたくさん入ってきました。
沖縄の友人からは「先生、たしか今島根ではありませんか?大丈夫ですか?」
北海道の友人からも「先生、大丈夫?」
西宮の友人からも「講演中では?」
講演会でお世話になった人からも「今、どこですか?」
娘からも「お父さん、大丈夫?」
とみなさんに心配をかけしてしまいました。
私は大丈夫でした。

あの時、21日午後2時7分、
島根県雲南市の斐伊小学校の人権教育研究発表会の講演会が始まってすぐでした。
いきなりゴォーと音が鳴り、何?と思った瞬間、今度は体育館がミシミシ音を
たてて揺れ出しました。地震や〜。
とてもびっくりしましたが、その後は収まり、幸い何もなく無事に講演会も
終了しました。震源地の鳥取県倉吉市とは、けっこう近い距離にありましたが、
雲南市は震度3で被害もほぼなかったようです。
それにしても、体育館には机もないので、どこに隠れたらいいかわかりませんね。
私はステージ上にいましたが、演台の下は空間がなく、逃げ場はなかったです。

あのゴォーという不気味な音は本当に恐ろしいです。
阪神大震災の時も大きな音がしましたからね。

研究発表会は無事に終わりましたが、帰りのJRが動いていなかったのです。
ずっと止まったままでしたが、地震発生から3時間半後、一本の特急だけが
運転を再開しました。前後の特急は全部運休です。なんと私はその動いた特急
の指定券を取っていたのです。なのでこれに私はうまい具合に乗れたので、
なんとか西宮まで帰ってこれました。
(かつて元気塾の沖縄セミナーに行く飛行機が台風でほとんどが欠航になった
 のに私が乗っていた飛行機だけが飛んだのです。その時とよく似てます。
 私はよほど運がいいのかもしれません)

震源地の倉吉市(震度6弱)では被害もずいぶん出ているようですし、
避難者もたくさんおられるようです。
どうかこれ以上被害が出ないことを祈っています。


※私は1か月後、倉吉市(11/21)と米子市(11/22)に宿泊です。
 琴浦町(震度5弱)、日南町(震度4)で仕事です。
 みなさんに元気を出してもらえるような話をしてきます。



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Posted by naka602 at 14:28 | TrackBack (0)


2016年10月12日
ホント幸せです。
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U男との再会の日です。そしてナントもう1人K男も来てくれることになりました。私の教師1年目で一番心に残っていた2人(一番心配だった2人かな(笑))がそろって来てくれたのです。もう嬉しくて嬉しくて・・・・。
新卒1年目の私は22歳、小学3年生だった彼らは8歳。
あれから38年、私は60歳、彼らは46歳です。

今津小学校PTA講演会は、予定通り(笑)15分オーバー。
やっぱりしゃべってしまいます、昔のことを(笑)
まずは今津小学校の校歌、これがめちゃめちゃいい歌なんです。
当時のテープをかけて、まずは一人感動に浸ります。
(みんなはどうだったかはわかりませんが(笑))
1年間の臨時講師でしたが、それはそれは濃〜い1年間になりました。
あの臨時講師としての1年間があったからこそ、そのあと25年間が充実したと
思っています。懐かし過ぎます。いろんなことがありました。なんせ大学出たば
かりの何もわからない自分が教師という仕事を始めるのですからね(笑)
そんな1年を終えて、3年3組の33人の子どもたちとの別れのシーンは今も
思い出すと涙が出そうになります。
そんなこともベラベラしゃべているから15分もオーバーするのです。

U男とK男の話は、講演の中でも出てくるのですが、この会場に彼らが来ている
ことは伏せていました。そして講演会の最後に、
「実はあのU男とK男が、今日来てくれているのです。37年ぶりの再会です」
って紹介するとみなさん、ビックリされました。

U男とK男は、二人とも37年ぶりなのですが、なんとなく想像していました。
こんな46歳のおっさんになっているだろうって。
その想像は当たりました!
U男は昔と一緒の感じで大きくなっていましたし、K男は予想通り、太っていま
した。U男も、K男とは久しぶりの再会で、会った時はよくわからなかったそう
ですが、私は一目見た瞬間に「K男!」って抱きつきましたからね(笑)
あのやんちゃなK男が、こんな立派な腹をして、立派なスーツを着ていました。


講演会の後は、飲み会です。
U男の息子(6年)の担任の吉則先生(私の教え子)と美穂子先生も一緒に
5人でワイワイガヤガヤの飲み会でした。
U男もK男も、仲島先生との思い出は「遊んだこと」と答えてくれました。
これは新任教師としては嬉しいことです。
U男は「ドッジボールをいっぱいした」というし、K男は「かくれんぼをした」
でしたが、それぞれ印象が違うのは、彼らの運動能力の違いでしょうね(笑)
とにかく遊んでばかりでした。K男は「授業中も遊んだ」っていうのです。
勉強はしていなかったのかもしれませんね。

でもその中で、二人とも国語の「モチモチの木」は覚えているというのです。
実は「モチモチの木」は私が1番すきだった教材です。
「人間、優しささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ」
という「じさまの言葉」が私の心に響いたのです。
あとから考えれば、私のHP「仲島正教の優しい風」とか講演会の「優しいと
いう字は・・・」の原点は、「モチモチの木」にあったのでしょうね。

それとやっぱり教師が好きな教材は、子どもも好きになるのですね。
逆にいえば、嫌いな教材は嫌いになっているのでしょうね(アカンアカン)


それからもう一つ、面白いことをK男が覚えていてくれました。
私が5月の日曜参観の時にした作文の授業のことです。
そこで私は、K男が「お風呂で寝てしまった」ことを書いた作文を紹介して
授業を進めたのです。
その後38年間、私はお風呂で眠くなった時は、いつもK男の作文を思い出す
のです。それくらい印象に残った作文だったのですが、そのことをK男は
はっきりと覚えていました。なんと全文です(笑)めちゃ短いです(笑)

「きのう、おじいちゃんと風呂に入りました。
 風呂に入りながら寝てしまいました。」

これを紹介し、そこから作文の書き方を教えていくのです。
(灰谷健次郎「うさぎの眼」の文中の「したこと作文」の真似です)

授業参観で、なんと私はK男の作文を全否定し、全部消してしまうのです。
お母さんも見てる前で、そんなことをするひどい教師です(笑)
それをK男は、はっきりと覚えていました。
そしてそのあとに消防車のミニカーを使った作文の書き方指導もはっきりと
覚えていました。
「こうやって作文を書くのかがわかった」
とK男は当時のことを詳しく話してくれました。

「ホンマよう覚えてるなあ〜」って感心してしまうと同時に、ホンマ嬉しい
ことです。消防車のミニカーのことはすっかり忘れていた私です。
(※次の学校では、ミニカーを本物のうさぎに変えて授業をしました。)


めちゃめちゃ遊んだこと、
「モチモチの木」のこと、
「お風呂の作文」のこと、
もうこれだけで、幸せで幸せで幸せで・・・・・。

ホント幸せです。
先生の仕事って、ホンマええですね。


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Posted by naka602 at 08:09 | TrackBack (0)


2016年10月2日
尼崎市立難波小学校の組体操
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「最近の運動会はおもしろくなくなった」とラジオから聞こえてきました。昔ながらの種目がなくなってきたことも一因でしょう。確かに「棒倒し」のような種目は激減し、そのうち「騎馬戦」もなくなるかもしれません。

昨年来、話題になった「組体操」も今年はやめた学校も多かったみたいです。
あの某大学某准教授の「組体操は危険」「百害あって一利なし」のような主張が
ネットで拡散し、全国の教育委員会の中には、それを鵜呑みにし「段数制限」に
始まり「組体操一律禁止」の教育委員会も出てきました。
現場の様子も見ずにすぐに禁止というのは「子どもの命を守る」と言いつつ、
実は「教育委員会の立場を守る」という姿勢の表れにしか私には見えません。
ホンマ腹が立ちます。
その点、兵庫県教育委員会も、私が関わっている尼崎市教育委員会も「禁止」では
なく、子どもの実情や学校の様子で判断してほしいということになりました。
教育とは、目の前の子どもを見て行うものです。子どもが最優先です。
「子どもファースト」なのです。「教育委員会ファースト」ではないのです。
さすが兵庫県教委、尼崎市教委です。

前置きが長くなってしまいました。
昨日、尼崎市立難波(なにわ)小学校の6年「組体操」を見てきました。
その感想は、小泉首相ではありませんが「感動した!」の一言に尽きます。

入場してきた時の6年生106名の子どもたちの笑顔はとても爽やかで
「私たちの演技を見てください!」
と言わんばかりの素敵な表情でした。
「わぁ〜楽しそう〜」思わずそんな声が観客席から聞こえました。
そして音楽と笛に合わせ、マスゲームのような動きから組体操本来の2人組、
5人組等の倒立やサボテンや扇などの技もきっちりを決め、観客を湧かせます。
構成が素晴らしく、流れるように進んでいく演技にすっかり引き込まれていき
ました。問題になった6段ピラミッド、7段ピラミッドもなんなく完成させて
いきました。決めのポーズがまたカッコイイのです。子どもたちの自信に溢れた
あのVサインポーズです。思わず大拍手です。

そして退場の時には、もう最大級の拍手の渦が巻き起こりました。
「素晴らしい!」「ブラボー!」「ありがとう〜!」
そして笑顔で入場してきた子どもたちの目から涙が流れています。
でもすっごいいい表情です。
「僕たちはやり遂げたよ。みんなの力と心を合わせてここまでやったよ」
本当に素敵な子どもたちの姿です。


本当にええもんを見せてもらいました。
素晴らしい組体操でした。

禁止にした教育委員会の人にも、そして某准教授にも
この難波小学校の6年生の姿を見てほしいものです。


そしてさらに素晴らしいのは、そのあとの閉会式の子どもたちの様子です。
一日頑張って疲れているはずなのに、しっかりとした行進で整列し、ピンと
背筋を伸ばし、閉会式をする様子に私はびっくりしました。それはこの学校の
先生方の指導の賜物であり、最高学年の6年生を見て、下学年があこがれ
お手本にしているからです。



今日、図書指導で有名な曲里由喜子先生からもメールがきました。
「尼崎の武庫南小学校の運動会を見に行きました。とても素晴らしい運動会
でしたよ。最後の6年生の組体操には感動し、涙がこぼれました」

先日、尼崎の塚口小学校の「組体操指導計画書」を見せてもらいましたが、
それはそれは細かく丁寧に指導の計画が立てられていました。
「組体操指導計画書」は尼崎ではどの学校もしっかりと立てています。
だからこそ事故もなくあんな素晴らしい組体操がどの学校でも実践されて
いるのです。そんな尼崎市の先生方のがんばりは本当に凄いです。
「花丸の五重マル」です!
尼崎市の教育委員の私として、自慢の先生方です。

もし全国の中で、組体操の指導に悩んでいる学校は、ぜひ尼崎の学校を
視察に来て下さいね。
そして春に運動会を実施している学校の先生たちにも来てほしいです。
「秋の運動会」の子どもの成長ぶりと感動の深さを感じてほしいです。


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Posted by naka602 at 20:16 | TrackBack (0)