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2006年5月15日
私にとっての5月15日
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 今から34年前の1972年5月15日は、沖縄がアメリカから返還された日です。私が高校1年16歳の時でした。でも私にとってのこの日はちがうことで忘れることのできない日でした。
 朝、沖縄返還のニュースをしている最中に電話が入りました。「玉川先生が交通事故で亡くなりました」という知らせでした。玉川先生とは、私が5年生の時の担任の先生です。バス停でバスを待っているところにダンプカーがつっこんできて、はねとばされ死亡したということでした。まだ27歳の青年教師でした。
 それ以後、毎年この時期になると仲間や当時の先生方と一緒にお墓参りに行くようになりました。18歳の教育大合格の時には「これで先生になれます」って報告し、22歳の時には「ついに本当に先生になりましたよ」と墓前でお話ししました。27歳のときには「とうとう玉川先生のトシと同じになりましたよ」と話し、37歳の時には「もう10歳も越えてしまいましたね」とお話ししました。
 あれから今年で34年、私はもうすぐ50歳になります。玉川先生が生きておられたら61歳です。定年をむかえ今頃はきっと悠々自適の生活をされていたことでしょう。一緒に教師として働くことはできませんでしたが、私が教師になって学級通信を出すようになったのは、当時玉川先生が発行していた通信「とも」の影響なのです。私が学級でPTAで講演会で歌を歌うのは、当時5年3組玉川学級で歌を歌っていたからなのです。そんな大きな影響をうけた玉川先生の命日が今日5月15日なのです。
 1週間ほど前、探しものがあり、奥にある段ボール箱をひっくり返していると、私が中2の時にいただいた玉川先生からの年賀状が出てきました。
「仲島君、元気ですか? そろそろ先生より速く走れるようになったかな。」
って書いてありました。その瞬間、小学校時代にタイムスリップです。私はクラスで一番速かったのですが、玉川先生は私のずっと前を走る憧れの先生でした。

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Posted by naka602 at 16:52 | TrackBack (0)
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