fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 「人生に予選落ちはない」 杉並区立杉並第四小学校教諭 乙武洋匡 僕は本当に悩みながら動き、ここまで仕事をしてきたのですが、現代の若い人たちは人生や仕事に対して真剣に考えるがゆえに動けなくなるようです。自分のやりたいことがわからない、定まらないという時、どうしても次の一歩が踏み出せなくなってしまう。 でも、「人生はゴルフとは違う」 と僕は思っています。ゴルフは遠くにある穴に自分のボールをいかに少ない打数で入れるかを競う。じっくり考え、クラブを選び、風向きや芝目を読んで、とにかく効率よく到達しなければならない。1打目をあらね方向に打ったら、どんどん打数が増えて予選落ちです。 けれど、人生では「効率」を考える必要はない。第1打をとんでもない方向に打ったとしても、第2打、第3打と次々にショットを重ねることでゴールに近づいていけばいい。失敗を恐れてじっと立ち止まっているだけでは、経験値が少しも得られないのです。 しかも人生では、ゴルフと違って最終ゴールであるピンの位置が動くこともある。たとえ1打目が最初に目指していた方向から大きく外れたものであっても、あれこれ悪戦苦闘しているうちに 「案外自分のやりたいことはこっちに近いのかもしれない」 とピンの位置がどんどん動いていくのが人生だと思うのです。 僕の場合も著書「五体不満足」の出版がとんでもない第1打だった(笑)。自分ではコントロールできないほど方向違いの遠くに飛んでしまいましたが、必死になって動くことで、少しずつ進むべき道が見えてきた。動けば本当に視界が変わる。自分の経験からも、立ち止まるな、うずくまるな、と言いたいですね。 人生の中では、失敗する、傷つくということが実は大切なのではないか、と思っています。でも現代は、周囲が子どもの失望の機会を奪っているように思えてならない。先日、作家の重松清さんが 「今は、小さな失望をさせないがゆえに、大きな絶望を与えてしまっている」 とおっしゃった。これはとても意味のある深い言葉だと思うのです。 普通に小中学校時代を過ごしていれば、失望を重ねる機会は多くあります。今度こそ一番にと思って必死に勉強しても、やっぱりあいつにはかなわないとか、サッカーの練習量は誰にも負けないのにレギュラーになれないとか。容姿への失望もありますね。 運動会で、保護者がこられない家庭があるから、お弁当をやめて給食にするなど、先回りして配慮してしまう時代。 僕は、子どもをあえて傷つける行為は決して許せないけれど、ただ普通の生活の中で失望したり、傷ついたりする場面まで先回りして排除することには賛成できないのです。温室で育てても、社会に出たらそんな配慮はない。人格が形成される時期の小さな失望経験がないから、若い人は社会に出て受け止めきれない絶望の前に動けなくなる。失望するのは当たり前、と考えてほしいですね。 (談) 2007.9.23 朝日新聞「仕事力〜乙武洋匡が語る仕事3〜」
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