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2007年11月20日
沖縄のこころ
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 17日(土)元気塾が終わったあと、夕方に沖縄に向かいました。そして那覇空港に降り立つと、なま暖かい空気が・・・・さすが沖縄です。そしてホテルに入ると、そこには冷房がかかっていました。
 18日(日)与那原町の照屋さんとと岡さんがわざわざ迎えに来て下さり、まずは腹ごしらえと沖縄で13番目においしいという沖縄そば屋さんに入り、昼食です。おいしかったなあ、以前食べた沖縄そばよりずっとおいしいかったです。そして講演会。私の早口の大阪弁にもみなさんついてきて下さり、笑いと涙の1時間半が過ぎました。その後は、町長、副町長、教育長、前教育長、人権擁護委員・・・とそうそうたるメンバーの方との懇親会。でもむちゃくちゃ楽しかったです。泡盛で乾杯していると、となりのテーブルで飲んでいた90才を越えたおじいさんから「これを飲みなさい」と高級泡盛の差し入れもありました。あーホント楽しかったです。
 
 翌19日(月)は、与那原町教育委員会指導主事の比嘉先生が、わざわざ休暇をとって、南風原資料館、アブチラガマ、平和祈念資料館を案内して下さいました。
 沖縄戦のこと、私はある程度は知っているつもりでした。でも比嘉先生の解説を聴きながらの見学に、衝撃を受けてしまいました。現地の方はやっぱり違います。南風原資料館では、比嘉先生のお父さんやおじいさんのお話も聴きながら資料や写真を見ました。比嘉先生の熱がいっぱい伝わってきます。「沖縄のこころ」がビンビン響いてくるのです。
 
 次に訪れたアブチラガマは、自然の洞窟で、沖縄戦では、はじめは住民の避難場所だったのですが、戦火が激しくなるとそこに日本軍が入ってきたり、野戦病院として、軍民同居になり米軍の攻撃の的になり、多くの命が失われた所です。
 比嘉先生と二人でヘルメットと懐中電灯を持ってアブチラガマに入りました。真っ暗です。足も滑るし、天井に頭をぶつけそうになりながら、真っ暗な洞窟を懐中電灯一つで進んで行きます。「ここは病院部分でそこにベッドがありました」「向こうは破傷風患者と脳傷患者が集められてた所です。二度と外には出してもらえませんでした」「こちらは麻酔なしの治療が行われた場所です。うめき声が聞こえていたそうです」「あの場所は遺体安置所。多分、まだ遺骨も眠っていると思います」背筋に衝撃が走ります。「住民はあの辺り、一番危険な場所に追いやられていました。軍は住民を守ってくれませんでした」 
 約30分間の暗闇の世界の中で、私は大きなショックを受けたのです。
 
 そんな比嘉先生の心を感じながら、今度は平和祈念資料館です。衝撃の写真も資料もたくさん展示してありました。「ヒロシマよりすごい」 そう言うと誤解を生じますが、ある意味ヒロシマとは全然違うのです。戦争の生の実態を知ってしまうのです。
 そんな展示の最後にこんな言葉を見つけました。
 
 沖縄戦の実相にふれるたびに 
 戦争というものは これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない
 と思うのです
 
 このなまなましい体験の前では いかなる人も
 戦争を肯定し、美化することは できないはずです
 
 戦争をおこすのは たしかに人間です
 しかし それ以上に
 戦争を許さない努力のできるのも
 私たち 人間 ではないでしょうか
 
 戦後このかた 私たちは
 あらゆる戦争を憎み 平和な島を建設せねば
 と思いつづけてきました
 
 これが
 あまりにも大きすぎた代償を払って得た
 ゆずることのできない
 私たちの信条なのです
 
 
 ついこの間、問題になっていた沖縄の教科書問題。沖縄で10万人の抗議集会があったのですが、その怒りは本当によくわかました。
 過去に、ヒロシマに修学旅行で子どもたちを連れて行きました。あの子たちを沖縄にも絶対に連れて行きたい!そう強く感じました。
 
 私は、沖縄の街で 「憲法9条は国の宝」 そんな文字を何度も見つけました。
 
 
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 06:26 | TrackBack (0)
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