fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 23日は佐賀県武雄市での人権フェスタでしたが、会場にはかつて西宮・平木小に通っていた子が来てくれていました。彼は平木小に4年生まで通ったあと九州に転校し、昨年度より教師となって福岡県の小学校で働いていました。そして福岡の人権教育大会でたまたま私の講演を聞き、「あっ、平木小の仲島先生だ」と気づき、メールをくれたのです。私は彼の担任でも学年でもなかったのですが、彼は私を覚えてくれていたのです。ホントうれしいことです。 そして今回、わざわざ福岡から佐賀までやって来てくれました。私は彼の顔を覚えていませんでしたが、会場を見たとき、真っ正面に目がキラリと光った青年を見つけ、彼が石田君だと確信し、講演の最後にみんなの前で紹介させてもらいました。こういう瞬間はホント教師冥利に尽きるときです。 「石田君、本当にありがとう。先生も君に会えてとってもうれしいです。がんばれ石田君!いや石田先生!ええ先生になれよ。そして今度またゆっくり会おうな」 そんな感激の再会をし、石田君が持って来てくれた拙著にサインをして佐賀をあとにしました。 そして今日24日は、地元西宮・山口地区青少年健全育成大会での講演でした。講演中、会場の中に20年前の教え子、さえちゃんを見つけました。お母さんと一緒に聴いてくれているのです。あー懐かしいなあ、さえちゃん元気なのかなあ、なんて思い出しながら講演を続けていました。(同時に二つのことを考えながらの講演って・・・・不思議に思うかもしれませんが実は出来るのです。二つの脳が働いています) さえちゃんは、5年6年と担任しましたが、ある病気があり入退院を繰り返していました。6年生の修学旅行は通常なら行かない方が体の為にはよかったのかもしれませんが、私はさえちゃんも連れて行きたくてお母さんとも何度も話をしました。もし発作が出て、処置が遅れたら大変なことになることも承知していましたが、仲間と一緒にさえちゃんも過ごさせてやりたかったのです。お母さんが付き添いに来ることも考えましたが、そうなればさえちゃんはきっとお母さんを頼るし、仲間もお母さんに任せると思ったので、付き添いはやめてほしいと言いました。(今の私だったら「付き添いに来て下さい」と言っているでしょうね。当時は若かった自分が無理強いしたみたいですね) 結局どうしたかというと、お母さんがさえちゃんに見つからないようにして 「隠れてついてくる」 という方法をとったのです。もしもの場合は急遽現れるという形になりました。その事を知っているのは私たち教師集団とお母さんだけです。それはそれはスリル満点でした(笑) さえちゃんのお母さんは適度な距離を保ちながら、ついてくるのですが、なんと頭にはカツラをかぶりサングラス姿です。どう見てもこれはおかしいでしょう。でもお母さんは真剣です。笑いそうになりますが笑ってはいけません。そんな探偵ナイトスクープのようなことを実際にやっていたのです。そして、さえちゃんは何事もなく、元気に無事修学旅行を終えました。いい思い出になったと思います。 そんなさえちゃん親子が、今日はわざわざ西宮市北部の山口公民館まで来てくれたのです。講演の最後に、昨日の佐賀と同じように紹介させてもらいました。 「20年前に私が5,6年と担任した教え子です。さえちゃんとお母さんです」 ホント教師冥利に尽きるこの瞬間です。 講演終了後、 母 「仲島先生、いい仕事してますね。ホント元気そうでよかったです。実はさえこは明後 日心臓の手術をうけるのですよ」 仲島「えっ・・・・・・・」 さえ 「手術は3時間ぐらいかかるんだって」 仲島「そうかあ、3時間か。それだったら簡単な手術やぞ。心臓の手術って10時間くらい かかることが多いから、3時間の手術ってたいしたことないぞ。大丈夫や。」 そう言うと、さえちゃんは少し安心したような顔で「うん、がんばるね」と頷いてくれました。 さえちゃんにとって、これはもう何度目の手術になるのでしょうか。小さいときから手術を何度も何度も繰り返してきました。それによく耐えてきた彼女です。 どうか神様、さえちゃんを元気にさせてやってください。 どうか神様、よろしくお願いします。どうかよろしくお願いします。
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