fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 今日は12月31日、大晦日です。 でも大晦日の様子は、昔とすっかり変わりましたね。大晦日の日って、なんとなく街がざわざわそわそわ、お正月の買い物客でお店もいっぱい、大掃除も終わり、新年の準備万端で家族がコタツに入り、紅白歌合戦を見ながら年越しそばを食べ、蛍の光のあと、急にテレビの画面が雪の永平寺に切り替わり、「ゆく年くる年」の放送を見ながら新年を迎えていました。そして、お正月はお店も全部閉まっており、街が静かなのです。そうやって新年が始まっていったのです。 時代は変わりましたね。 我が家も同様です。午前中に娘が美容院に行くと、なんと映画のタダ券をゲットしてきました。タダやったら行こう!とさっそく西宮ガーデンズの映画館へ直行です。(我が家から映画館まで、たったの5分です) 西宮ガーデンズの映画館には1ヶ月前あのキアヌ・リーブスが来たのですよ。その映画館に行ってきました、大晦日に映画鑑賞だなんて、ホント時代は変わりましたね。 今年もあと数時間を残すのみとなりました。 この1年間本当にありがとうございました。 どうぞ、みなさんよいお年をお迎え下さい。 2008.12.31 仲島 正教 ※今年最後の追伸。 新年を迎えると「あけましておめでとうございます」の挨拶ですが、 「喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきます」 ・・・と喪中ハガキも書きましたが、 ホームページでは、通常通り、新年の挨拶をさせていただきます。 もちろん、お会いしても、新年の挨拶はさせていただきます。 そしてみなさんも遠慮なく 「おめでとう」 とおっしゃってください。 それでOKです。というかそうしてほしいと思っています。 そもそも「喪中」とは何か? これは死に対する穢れ(ケガレ)意識からのもので、元々以下のような意味。 「身内に死者が出て、あなたの家は穢れているから、周囲の人に うつさないように、喪に服して、静かにしておきなさい」 葬式における「清め塩」も同じ事です。葬式に行ったら、自分にケガレが うつる、だから自分の家にケガレを持ち込まないために、玄関先で「清め塩」 をする。そんな慣習がずっと続いていました。(最近はなくなりつつあります) 遠い昔、弊牛馬の処理や死刑執行の役割を担った部落の人が「穢れ多い」とみなされ 「穢多(エタ)」と呼ばれ差別されてきました。(部落の人は自らのことを「皮多(カワタ)」 とは呼ぶが、けっして「穢多(エタ)」とは呼ばなかったのです) このケガレ意識が、中世、近世、近代、現在といまだに続いて 「家がケガレる」「戸籍がケガレる」と結婚差別として悲劇を起こしているのです。 このケガレ意識が差別を正当化する思想として利用され温存されてきたのです。 そしてそれが、私は差別はしないという人の中にも、無意識に定着し「文化」となって きたのです。でもこれは本当は「差別の文化」であり「人権の文化」ではないのです。 世間では、そんな意味も知らずに、また深く考えることもなく 「身内に不幸があったから、おめでとう、は控えておこう」 という意識になっているのでしょう。 そしてその世間の流れにそわないと常識がないように思われてしまうのです。 事実、私もその流れにのって「喪中ハガキ」を書いたのですが・・・・・。 新年を迎えることは、亡くなった人があろうがなかろうが、おめでたいことなのです。 みんなで新年を迎え元気にがんばろうとする姿を、故人も天国から応援してくれていると 私は思うのです。だから、新年は、やはり「おめでとう!」なのです。 私の父も、きっと天国でうなずいてくれていると思います。
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