fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 今年も1.17がやってきました。5時46分黙祷。 あれから14年も経ったのに、まだ涙が出てしまいます。 今日は、悲しい話は抜きにして、震災後の私の小学校の授業日程について記しておきたいと思います。震災から2週間後、学校は再開しますが、運動場や体育館や理科室等の部屋は避難所として使用していために、子どもたちは教室だけで学習していました。 ・1月17日 阪神大震災 (西宮の小学生の犠牲者は35名。本校は2名が犠牲) ・1月30日〜 学校再開 (7割弱の子が登校。親戚の家等、遠くからの通学者多数) 10時始業 10:15〜11:15授業 60分授業×1 11時45分下校 ・2月13日〜 9時30分始業 9:40〜10:20授業@ 40分授業×3 10:25〜11:05授業A 11:10〜11:50授業B 12時10分下校 ・2月18日〜 9時30分始業 9:40〜10:25授業@ 45分授業×4 10:35〜11:20授業A 11:30〜12:15授業B 簡易給食開始(exチーズケーキと牛乳だけ) 13:15〜14:00授業C 14時15分下校 ・3月18日 図書室にて卒業式 当時私は6年生の担当でした(あの井村君がいた学年です)。 1月30日の学校再開時は65名中48名しか集まりませんでした(他は遠くへ疎開)。6年生は2クラスでしたが、48人が一つの教室に入り授業を始めていきました。2ヶ月後の卒業式にやっと65名全員が集まりました。卒業式は体育館が避難所になっていたので、図書室で6年生と保護者のみで行いました。(5年生は廊下で待機) (4月より通常の授業に戻るが、体育館は避難所のため使用不可) 今、思い出してみると、こんな感じでようやってたなと思いますね。 この3ヶ月間の授業時数はもちろん不足していましたが、なんとかやれました し、それで中学校で困ったということはありませんでした。教師の会議もほとんどなしで、3ヶ月間乗り切れました。普段あれだけ多くある会議がなくても、やっていけるのですね(笑) 私たち教師は、昼過ぎまで授業をしたあとは、避難所の仕事をしていました。男性教員は交代で寝泊まりをするのが5月まで続きました。 避難所は8月末まで約220日続いたのです。 ※今日は元気塾でした。50名の先生方と指導案について研修しましたが、いつか震災の事もしっかりと伝えないといけませんね。
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