fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 午後6時からあっという間に5時間、店を出たのは午後11時でした。 「先生が僕に走ることのおもしろさを教えたくれたんだ。だから今度先生と一緒に走りたいので〇〇ハーフマラソンの申込書も持ってきたよ」 と言うナオキ。 「最近、奈良や京都の古い建物のロマンに魅かれています」 と言うユウタ。 「やっぱり先生の一番の思い出は火曜と金曜の体育やった」 と言うタカヒト。 「建前の面接は苦手で、つい本音を言ってしまうので就活は全敗」 と言うミズホ。 「一流企業の内定もらったけど、なんかイヤな感じで迷ってる」 と言うシズカ。 そんな教え子5人と、楽しいひと時を過ごしました。 彼女たちは、高須南小の4年1組の子どもたちです。 今年で22歳、タカヒトのほか4人は大学4回生で来春から社会人です。 5人で、5時間しゃべり通しです。いろんなことを思い出し、笑っていたのですが、 長野オリンピックのスキージャンプ団体戦の話は盛り上がりました。 覚えているかな? あの猛吹雪の中の原田の失敗ジャンプのあと、原田の2回目は起死回生の大ジャンプがあり、ラストは船木が華麗なフォームで決め、日本が逆転優勝、金メダルに輝いたあのジャンプ団体戦です。 あの日のテレビ放送は、午前9時半から始まったのですが、 せっかくのオリンピックだし、日本が優勝しそうだし、 少しくらい子どもたちに見せてやろうと思い、私は教室のテレビをONにしました。 出だしは良かった日本ですが、原田のまさかの大失敗ジャンプで暗雲がたちこめます。猛吹雪で中断するのですが、どうなるか心配で心配で、テレビはついたままです。そして起死回生の大ジャンプに教室は大騒ぎ。逆転優勝するともう最高の盛り上がりで、あたかもジャンプ会場にいるような錯覚にもおちいるのです。結局9:30〜12:00まで、ずっとテレビを見続けたという4年1組でした。 今、考えれば・・・・・こんなことは許されないですね(笑) 3時間授業をせずに、オリンピックを見続けたのですから・・・ 今ならきっと保護者からのクレームもきたでしょう。 翌日、ある保護者から、こんな連絡帳がきました。 「家で、テレビでスキーのジャンプを見ていました。日本チームの頑張る姿に感動し涙が出ました。こんな様子を子どもたちに見せたかったなあと思っていました。午後、子どもが帰ってきて 『今日学校でジャンプ見たよ。すごく盛り上がったよ。よかったよ』 と話してくれたのでびっくりしました。と同時にとってもうれしく思いました。テレビを見せてくださってありがとうございました」 まさかまさかの連絡帳ですね(笑) 実はこの件に関するクレームは1件もこなかったのです。 (心の中で思っていた人はいたかも・・・・・) そんなことを思い出しながら、 今だったら、先生は処分されるかも?って話すと、 教え子たちはフォローしてくれました。 「だって、あの時、先生は、テレビを見ながら、みんなに地図帳を出させて、 この国はこの位置にある、この国の国旗はこれ、ここの気候はこんなふうだ。 って説明していたよ。一応授業をしていたよ」 ナンテいい奴らなんだ・・・(感謝) 楽しい4年1組でした。 ※長野オリンピック スキージャンプ団体戦 1998年2月17日 金メダル 日本チーム 岡部、斉藤、原田、船木 銀メダル ドイツ 銅メダル オーストリア 原田選手の言葉 「みんなで助け合って、ここまできました」(金メダル直後) 「『ガンバレ』の声がプレッシャーになったことも確かにありました。 それでも僕は、若い人たちに『ガンバレ』と言ってあげたい。 だって、その声に支えられて、僕は夢を実現できたのだから・・・」(五輪後)
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