fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text Number というスポーツ雑誌があるのですが、 私はこの雑誌でけっこう好きで、創刊当時からよく読んでいます。 先日、この雑誌でプロ野球のドラフト特集が載っていたのですが、 今回の目玉である早稲田大・斎藤佑樹を例に出しながら、過去のドラフトの選手の ことがいろいろ書いてありました。 その中でこんな記述がありました。 甲子園で活躍した選手がドラフトで指名されてプロ入りするが、その後に活躍できない 要因として、甲子園で活躍した自分のイメージから脱せずにいるというのです。 甲子園という特別の舞台で、一種の興奮状態の中で普段の自分の力以上を発揮し 活躍してしまうと、そのたまたま活躍したことが 「自分はここまでできる」 という イメージになり、その後それが超えられなくて悩んでしまうのというのです。 斎藤佑樹も甲子園の大活躍のイメージが残ったままで、大学野球をしていたから ある程度の活躍をしつつも 「自分はこんなものではない」「もっとやれるはず」 という 気持ちが抜けきれなかったというのです。 そんなことを考えながら読んでいると、 過去の栄光にとらわれないのが、あのイチローであり、石川遼であり、杉山愛なのかな と思うのです。 イチローは、振り子打法で200本安打を打ったのに、振り子打法をあっさり捨て、 毎年自分の打法を変えて進化しています。 石川遼も15歳のアマチュアで日本一に なったのに、もうそんなことは忘れて、よりよいフォームを毎回追い続けています。 杉山愛は引退試合の日にも、新しい打ち方を試していたというのですから驚きます。 もしかしたら・・・・・教師にもそんなことがあるのかもわかりません。 学級づくりもうまくいくと 「あの方法でうまくいった」 というイメージが残ってしまいます。 すると、今度のクラスではなぜうまくいかないのか、と悩むのです。それどころか 「最近の子どもは変わってしまった」 と学級がうまくいかないことを子どものせいに してしまいます。それは子どもが変わったのではなく、自分が変わらなかったのです。 「ベテラン教師の学級崩壊」はこういう事が要因の一つになっているのかもしれません。 そう考えると、今の自分はどうか。 過去のイメージにとらわれていないか。 変わること、進化することへの勇気を持っているのか。 そんな自戒の意味を込めて、Number を読んでいました。
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