fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 3月3日、奈良市の鼓阪(つざか)小学校に行ってきました。 鼓阪小学校は、明石家さんまの卒業した学校です。校長室には、当時さんま少年が 捕まえたムササビの剥製が飾ってありました。この剥製はかつては理科室にあったの ですが、さんまが有名になり、校長室に進出しました(笑) 鼓阪小学校の場所は、あの正倉院の隣です。その向こうには東大寺の大仏殿が 見えますし、その後ろは若草山です。だから小学校の校舎もお寺風なのです。 そんなすごい小学校です。 講演会のあと、教頭先生にフィールドワークに連れていってもらいました。 さんま少年がよく遊んだといわれる公園も教えてもらいましたが、 何より一番感動したのが、あの「水平社宣言」をみんなで考えたという建物です。 古い民家ですが、今もしっかりと残っているのです。 この建物の2階で、あの西光万吉さんや阪本清一郎さんたちが考えたのです。 ここで 「水平社宣言」 は生まれたのです。 くしくも今日3月3日は、水平社創立の日です。 今から89年前の、1922年3月3日京都・岡崎公会堂で、高らかに「水平社宣言」が 読み上げられました。 そんな凄い日に、私がここに立っていることに、鳥肌が立ってしまいました。 水平社宣言の原文はなかなか難しいこともあり、授業に使う時は、少し苦労するの ですが、花園大学の川内先生がこんな文に書き直しておられました。 そこから一部抜粋して紹介したいと思います。 ・・・・・・人間は支配・抑圧をする者とされる者、差別する者と差別される者という関係で存在すべきではなく、互いに尊敬しあうべきものなのだ。・・・・・人間にとって、まことの 「いたわり」 とはどのようなものであるのか。我々はよく知っているのだ。喜びや、悲しみや、悩みや、痛みを、我が事として分かち合い、親身になって、助け合い、励まし合い、支え合う、「共感・連帯・共生」 の思いと実践をつらぬき通して生きていくことこそが、本当に人間を 「いたわる」 ことだということを。 だからこそ、我々は人々の生きていくこの世の営みの中で、まごころのこもった熱い血のふれあいと交わりが生まれることを願わずにはおられない。冷たい差別の壁を打ち破り、切り拓いて、輝かしい光がすべての人々の行く手を照らし、すべての人々の上に充ち溢れる、そんな完全解放の 「よき日」 の到来を、強く、強く願わずにはおられないのである。 我々は、心から 「人生の熱と光を」 願い求める。 水平社は、このような願いの中で生まれた。 人の世に熱あれ、人間に光あれ。 大正11年3月3日(1922年) 全国水平社創立大会
私の21年間の教室現場での、 最後の公開研究授業(6年)は 「西光万吉と水平社宣言」 でした。
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