fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 先日、びっくりする電話が入りました。 「もしもしナカジマ元気か? オレ6月から市会議員になるねん」 「えっ、なんて? もう1回言うてくれ、何になるって?」 「だから・・・・市会議員やって」 「シカイ ギイン・・・・」 私の大切な友人の桜井浩司が、 6月から滋賀県栗東市の市会議員になることになりました。 桜井とは、長いつきあいです。 桜井は、隣の高校でバスケットをしていました。私とライバル関係でした。 高校卒業後、思わぬところで再会したのです。 高知大学の入試現場(特別体育科)でした。そして・・・・・2人そろって不合格。 次に会ったのが、大阪教育大学の入試。そこで2人ともめでたく合格したのです。 高校時代のライバルが、同じチームで一緒にバスケットをすることになったのです。 自分たちで自分たちを褒めるのは気がひけますが、仲島・桜井のツーガードは なかなか上手かったのですよ(笑) 当時、関西屈指のツーガードだった京産大 の杉本・三木ともいい勝負をしていましたからね(多分・・・笑) そして2人は宴会では、いち早くピンクレディを踊っていました。その後たくさんの人が 踊るようになりましたが、一番早く踊ったのは私たち2人です(笑) 全国教育大学大会のレセプションで踊った「SOS」は大ウケでした。 「さすが大阪や」 と言われましたからね。 その後、アレンジした「ゴリラのUFO」もウケましたね。 他には、ぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子も2人でやりました(笑) 桜井が人生幸朗役で、私が生恵幸子役でしたが、ネタ作りはいつも桜井でした。 ピンクレディの振り付けも桜井が全部教えてくれるのです。 その天才的な相方が、今回市会議員になったのです(笑) 大学卒業後、桜井は教師にはならずに、ナントJRA(日本中央競馬会)に入り、 厩務員、調教助手をするのです。教育大学出身の異色の厩務員として有名に なりました。また頭のよさを買われ、組合では重要なポストで活躍するのです。 大学卒業後、桜井と出会うのは、いつも阪神競馬場でした(笑) あの阪神大震災の時は、 桜井が一番にかけつけてくれました。 震災2日目、大きなリュックをかついで滋賀県からやってきました。 リュックの中には、カセットコンロ、電気ポット、チキンラーメン、ポリタンク・・・・・ 涙が出そうでした。 そして4日目から、娘(小6)と息子(小2)を滋賀県の家で預かってくれたのです。 これで私と妻は、自分の学校の避難所でしっかり活動できるようになりました。 桜井夫婦が親代わりになってくれて、娘と息子は信楽町の小学校に通いました。 毎日、連絡帳も書いてくれていました。休日には栗東の馬にも乗せてもらいました。 娘と息子にとって、忘れられない滋賀県での疎開生活だったと思います。 そして転機が訪れます。 3年ほど前に仕事中に大けがをして、しばらく休職していましたが、その時に自治会の 方にもお世話になったこともあり、体が動くようになると自治会活動にも参加するように なり、とうとう自治会長にもなったのです。 そして今回、地元の市会議員の引退にともなってみんなから推薦され、JRAを退職し、 市会議員に立候補したのです。 あいつなら大丈夫と思います。 きっとみんなのために動く市会議員になってくれると思います。 「がんばれ桜井!」 7月に滋賀県へ仕事に行きますが、その時に会う約束をしました。 久しぶりの再会が楽しみです。
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