« 前のエントリー | Main | 次のエントリー » | TrackBack |


2013年6月19日
母の経歴
fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text

この夏で89歳になる母が、ここのところの暑さに体調を崩し、入院しました。
昨日病室で、少し元気になった母と話をしていてびっくりしたことがありました。
 
 
母が若い時、臨床心理の勉強を一緒にしていた人が、なんとあの臨床心理学の
第一人者の河合隼雄さんだったのです。あの河合隼雄さんです!
「あれから、あの人はどんどん偉くなっていったのよ」
と平然と話す母にびっくりです。
 
実は、私は小さいころに「ロールシャッハテスト」をした覚えがあるのです。
あの変な模様のことも、ロールシャッハという名前も覚えているのです。
そうかあ、あの時河合隼雄さんと一緒にだったんだ、そういうことだったんだ。
私は実験台だったんだ(笑)
我が家にも、河合隼雄さんの本は何冊かありますが、この人が母と一緒に仕事をしてい
たんだと思うと感慨深いです。本当に不思議な気がします。
 
 
その頃、母は尼崎養護学校に勤めていたのですが、母は尼崎養護学校の創立時の
メンバーであることもわかりました。母たちが苦労して養護学校を立ち上げたのです。
このこともまったく知りませんでした。
今、私は尼崎市教育委員として、尼崎養護学校の新築移転に関わっていますが、
新築移転の落成記念式典には 「ぜひ母を呼びたい」 、そう思いました。
 
母はその後、神戸市の友生養護学校に転勤し、58歳で定年退職しました。
その時、私は25歳。 
「長い間ご苦労様」 と母に面と向かって言うのは恥ずかしかったので、新聞の投書欄
に投稿しました。 それが運よく掲載され、母の退職祝いとなりました。
 
 

42年間の教師生活 お母さんご苦労様

        (仲島正教 25歳 小学校教員)

 

私の母は、3月末で

42年間にわたる教師生活を終えます。

42年間といってもそれはそれは長いものです。

その間には、戦争があり、結婚、出産、子育て、

子宮ガンとの闘い、我が子の結婚、孫の誕生と、

女として、母として、さらに教師としても、

私には想像もつかない苦労があったと思います。

 朝早く起きて家事を済ませ、皆より早く家を出て、

夕方遅く重い荷物を持って帰る母。

夕食の後かたづけをすませ、家族が寝静まってから

持ち帰った仕事をする母。

 私は、卒業式に一度も

母に来てもらったことがありませんでした。

母もちょうど自分の学校の卒業式と

重なっていたからです。

でも不思議と一度も不満に思ったことはありませんでした。

今考えれば、何に対しても

真剣な母の姿を見ていたからだと思います。

 そんな母を見て育った私も今、母と同じ道を歩んでいます。

お母さん、42年間、本当にご苦労さまでした。

           (1982年3月30日 朝日新聞「声」)

 
 
 
昨日の母との話で、驚くことが、もう一つありました。
母は定年後も、しばらくは非常勤講師として、友生養護学校に通っていました。
私はせいぜい5年ほどだったと思っていたのですが、母の話を聞いてびっくり仰天!
実は、退職後も18年間、なんと76歳まで仕事をしていたのです。
えぇーーーーーそんなの知らなかったです。 なんちゅう息子や!
 
母は専門的な所も持っていたので、学校としては重宝していたのでしょうが、76歳まで
とは驚きです。 そんなおばあちゃんを雇う学校も学校ですが、母も母ですわ(笑)
母の教師人生は、16歳から76歳まで、なんと60年間です。信じられません!
 
 
最近、「もう歳だから・・・」 と少し弱気になっている母ですが、
まだまだ長生きしてほしい、そしてまだまだ話を聞かせてほしい、
そう思っている「何も知らない息子」です。
 
 
 

fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text_more
Posted by naka602 at 07:10 | TrackBack (0)
TrackBack

この記事へトラックバックするには、このURLをお使いください:
https://www.bbweb-arena.com/trackback.asp?entry_id=115125