fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 拙著「教師力を磨く」 第1章「教師のすすめ」 ★3月 子どもとの別れ、そして感動。 一生教師をやりたい (P.17〜) ・・・・・・4月13日離任式がありました。・・・・・・ 離任式が終わり、新しい赴任校に帰ろうとした時、4年3組(担任した子がそのまま持ち上 がった学級)の担任のN先生に 「仲島先生、あの子たちと最後のお別れをしてあげて」 と言われ、少し緊張しながら4年 3組の教室に行きました。子どもたちを見ると、何だか春休みのうちに大きくたくましくなっ た気がしました。 「今日から4年生、みんながんばるんやで。先生は段上西小学校という学校に行くけど、 そこからみんなのこと、応援しているからね。3月25日、3年3組最後の日にみんなと 六角堂で撮った写真ができたから、それを渡すね」 一人ずつに写真を渡し始めました。10人ほど渡したでしょうか。 U男が急に前に 駆け寄ってきて、 「せんせー」 と泣きながら抱きついてきました。すると、同時に32人の子どもたちが一斉に私の前に 駆け寄ってきました。私は不意をつかれ、我慢する間もなく涙が止めどもなく流れ出て いました。33人の子どもたちが私の周りに来て泣いてくれている。教師としてこんなに うれしいことはありません。新米教師で授業もろくにできなかった私に、こんなことをして くれるのです。私はこの時に誓いました。 「一生、教師をやりたい」 この出来事が私の教師としての原動力になりました。 (〜P.18) 私の教師人生のスタートは、今津小学校。 22歳の私は、臨時講師として3年3組の担任をすることになりました。 大学出たての何もわからない新米教師の無我夢中の1年間でした。 翌年、正規採用として段上西小学校に赴任することになり、離任式があったのです。 初めての担任の私は失敗だらけでした。 U男は気になる子でした。なのに家庭状況も知らずに傷つけてしまったことがありました。 U男は、私の教師人生で一番最初の「気になった子」でした。 実は、離任式で私は変わったことをしました。朝礼台の上から、「先生のクラスにこんな すごい子がいました」 と言って、U男を呼びました。そして「この子は逆立ちが上手です」 って紹介して、朝礼台の上でU男に逆立ちをさせました。 そんな離任の挨拶でした。U男に自信を持って頑張ってほしい、ただそれだけでした。 そのU男が、教室で私に抱きつき、泣いてくれたのです。
その後、U男とは、まったくつながりはなくなってしまいました。 あれから35年、ずっとずっと気になっていました。 今日、今津小学校での講演会でした。 講演会の最初は当時の思い出話に花が咲きました。 あの六角堂(今津小の歴史的建築物)の写真も大きくして皆さんに見せました。 今津小の校歌もかけました。 おかげで講演時間は15分オーバーです(笑) そして講演会が終わり、会場を出ようとしたときに、一人のお母さんが寄ってきました。 「私の主人は、U男というのですが、覚えていらっしゃいますか?」 「U男・・・・・」 私は絶句してしまい、なかなか言葉が出てきませんでしたが、 先ほどの写真を見せ、 「私の横に立っているのがU男ですよ」 そして拙著を開き、 「ここにU男の名前が載っているでしょ」 とそのページを見せ 「U男のことは、めちゃめちゃ覚えていますよ。U男は元気ですか」 と興奮しながら、奥さんに話しました。 奥さんは、びっくりしながら 「U男は、仲島先生に朝礼台に上げてもらったとか、先生すごく泣いていたとか いっぱいしゃべっていましたよ。先生が覚えていてくださったことを伝えたらきっと 喜ぶと思います」 うれしくてうれしくて・・・・・・、涙が出てしまいました。 今日は今日は本当にいい日でした。 U男43歳、会える日が楽しみです。
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