fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 先日、母(まもなく89歳)から、 母が若い頃、あの河合隼雄さんと、一緒に仕事をしていたことを聞いて、本当にびっくり しましたが、またまたびっくりすることを聞きました。 今度は、あの東井義雄先生です。 私が東井義雄先生の話をすると、母は 「東井義雄さんとは仲よしだったのよ。学校は違ったけど、研究会でよく一緒だったよ。 講習会では、東井さんと一緒に講師もしたこともあるよ」 えーーーーーあの東井先生と・・・・・・ 河合隼雄さんの時より、もっともっともっとびっくりです。 あの東井先生です。 あの東井先生ですよ。 私は何度も何度も先生方の研修会や元気塾でも紹介しているし、「体育科教育」でも 「心に残る一冊」ということで東井先生の著書のことも書いています。 私にとったら東井先生は神様のような存在なのです。 その東井先生と母が知り合いだったとは・・・・。 私はひっくり返ってしまいました。 でもよく考えれば、東井先生は出石郡但東町で、母は出石郡出石町。 同じ出石の小学校の教師同士なら、接点はあって当たり前ですね。 母の話によると、もちろん父とも東井先生は接点があったようです。 そういえば、我が家には昔から東井先生の本がありましたからね。 そんな関係だったのに・・・・・まったく知らなかった私です。 これはどういう親子関係やねん、と思われるでしょうね。 私と母はよくしゃべる親子だったと思うのですが、こと教育の事については、なんだか 話しにくくてあまりしゃべっていなかったのです。父ともそんな関係で、父が現役の時は、 学校のことは親子間でほとんどしゃべっていませんでした。 父が退職したあと、初めて教育について2人でゆっくり話した時、 父が考えていたことや実践していたことは、私が考えていたこととよく似ていたのです。 こういうDNAが知らないうちに引き継がれていたのかと驚きましたが、今回も同じこと を感じました。 私が尊敬していた東井先生を、母もやはり慕い尊敬していたのです。 母のDNAはきっちり私にも引き継がれていたのです。 あーーーホンマに不思議なつながりです。 それにしても、母の経歴をまったく知らない私に「喝!」ですね。
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