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2013年10月1日
母の経歴 その3
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今日、探し物があって、母(89歳)の家に行ってきました。いろんな資料が出てきましたが、また母の凄いものを発見しました。

母は、戦前から小学校の教師(国民学校訓導)をしていたのですが、戦後は小学校に勤めているときに「特殊教育」(現在は特別支援教育)に関わり、昭和33年4月より兵庫県で2番目に開校した尼崎養護学校に勤めることになりました。
当時はまだ「養護学校教諭」という免許はありませんでした。

その後、兵庫県教育委員会が昭和35年(1960年)2月15日に、県下で初めての「養護学校教諭」の免許を発行しました。
その記念すべき第1号がナント「仲島武子」だったのです。目の前にある母の免許状に、ホンマに「第1号」と書いてありました。
そして実はそれは全国で初めてだったので、母は日本で一番目に「養護学校教諭」の免許をもらったということになるのです。
全国で1番です、全国で1番です。凄すぎます。

ほかにも、東京教育大学での3か月の内地留学の「特殊教育」修了証書も出てきました。母はその後、大阪教育大学や神戸大学の内地留学にも行っていますが、東京教育大学に行っていた時期は、私がまだ4歳の時です(姉は8歳)。そんな小さな子どもがいる中、東京に行って勉強していたのです。行く母も母ですが、それを認める父も凄いなあと感心してしまいました。父は「どんどん行け!」と言っていたようです。
母は全国養護学校研究大会で発表もしているのですが、その時に作った模造紙3枚の資料もきれいに保存されていました。手作りで丁寧に書かれています。今見ても通じる素晴らしい資料に驚くばかりでした。
でも当時は、そんな活躍に「女のくせに」と陰口も随分たたかれていたようです。でも母は負けないし、父もそれを応援していたようです。(この頃から我が家はもう男女共同参画社会だったようです)


母の家に行くと、宝物がザクザク出てきます。
ホンマ知らなかったことばかりです。情けない息子です(笑)
それから今日は私と姉の資料?も出てきました。
それは次回に紹介します(笑)







 
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Posted by naka602 at 19:44 | TrackBack (0)
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