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2014年12月12日 |
悲しくて涙が止まりません |
「小林先生どうされているかな?大丈夫かな?」最近体調が悪いと聞いていたので心配でそんなことを思いながら通り過ぎ、講演会場へ向かいました。 講演会が終わり、帰りの車の中で携帯を見ると、着信、留守電、メールがたくさん入っていました。嫌な予感がしました。 塩川先生からの留守電 「ナカジマ君、小林アッコさんが亡くなったんや・・」 しばらく運転ができませんでした。 大榎先生との電話では、声が出なくなりました。 悲しくて涙が止まりません。 小林先生を慕う先生たちは、みんな「自分が一番かわいがってもらった」 と感じていると思いますが、多分一番かわいがってもらったのは私です。 ことあるごとに、いつも声をかけていただき、力をもらっていました。 ⇒2008年9月2日のブログ「小林晶子校長の退職」 午前中、高木小学校に、小林晶子校長の退任式に行ってきました。 本当なら小林先生は今年度末で定年退職だったのに、病気の治療のため、やむなく途中退職の道を選ばれました。体調はずっと悪かったようですが、ここ2ヶ月間まさに命を削って働き、しっかりと道をつくっての退職でした。 何でもとことん頑張る先生で、最後の一年をこう過ごす、こんな学校にする、という計画もあったでしょうに、あと2学期間を残しての無念のリタイヤだと思います。 子どもたちへのあいさつでは、はじめは気持ちを抑え、冷静に話しておられましたが、「本当はあなたたちの運動会を見たかった、6年生に卒業証書を渡したかった、6年生のみなさん、ごめんね・・・・」と途中からは涙声になっていました。子どもたち、PTAの方、そして私自身も涙をこらえることができませんでした。 小林先生との出会いは、教師1年目からです。私は臨時講師で今津小に勤めていたのですが、出張で今津に来られた小林先生は私を見つけると「あなたが仲島さんね、○○先生から聞いているよ」と気さくに話しかけてくださったのです。そして2年目、正規採用となった私は段上西小学校に赴任しますが、ここに小林先生がおられたのです。そして私は2年2組の担任となりますが、このクラスを1年生の時に担任していたのが小林先生です。小林学級をそのまま私が受け継いだのです。(なんという縁でしょう) この2年2組は、とってもいいクラスになっていきます。私は自分で「なかなかやるやん」と思っていました。でもそれが自分の力ではなかったのが、後でわかるのです。実は小林先生が裏でお母さんたちに声をいっぱいかけてくださっていたのです。「今度の若い先生のこと、お願いね。お母さんたちがしっかり支えてあげてよ」っていつも言ってもらっていたのです。 そして3年目、今度は同じ学年になり、小林先生に直接いろんなことを教えていただくのです。授業のこと、学級づくりのこと、学年通信の書き方・・・、そして何より、「子どもを信じる」ということを教えていただいたのです。教師が教え導くのではなく、子どもが自分自身で歩けるようにする、そんな指導が大事だとたたきこまれました。 そして、それから20数年が経ち、私が市教委を辞める時に私の最後の上司だったのが小林先生(学校教育部長)でした。そうなのです、小林先生が私の最初と最後を見守って下さったのです。(ホンマなんという縁でしょう) 私が辞めるのを同僚に相談した時、みんな 「気持ちはよくわかるが、辞めてはいけない」 と言いましたが、一人だけ違うことを言いました。それが小林先生でした。 「そう、わかったわ。チャレンジしたらいいよ。あなたならできるよ。応援するよ」 と言ってくださったのです。これは大きな励みと同時に、私の大きな自信にもなりました。 そんな小林先生が病に倒れる・・・・。頭はきれるし、いつもシャキシャキと動き、本当に元気でカッコイイ先生だったのに・・・・。本当に信じることができません。(小林先生自身が一番信じられないことだったと思います) どうか小林先生、しっかり治療してまた元気な姿を見せてくださいね。 小林先生、37年間の教師生活本当にお疲れ様でした。 そして、ありがとうございました。 小林先生のご回復を心から祈っています。 あの日から6年間の闘病生活でした。 享年66歳。 ご冥福をお祈りします。 |
今日は尼崎市今北総合センターの人権講演会でした。車で行く途中に、JR立花近くの小林晶子先生の自宅の前を通ります。
Posted by naka602 at 23:06
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