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2015年5月3日
5月3日憲法記念日
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今から8年前に初めて沖縄へ仕事で行った時にびっくりしたことがありました。それは塀に「憲法9条を守る」って直接書かれた光景でした。1か所だけではありません。移動中に何か所か見たのです。こちらではポスター等での広報はありますが、塀や壁に直接書かれていることに驚いてしまいました。
また仕事のあとには、地元の指導主事の先生の案内と説明で、地下壕(ガマ)に入ったり、地元の戦争資料館等にも一緒に出掛けました。そのあとは一人で平和祈念資料館にも行って、じっくり勉強してきました。


毎日新聞に「くらしの明日」という湯浅誠さんの連載コラムがありますが、
つい最近の欄にはこんなことが書いてありました。

「平和のための戦争」
            湯浅 誠

象徴的なネーミングだと思った。
「国際平和支援法」のことだ。
内容は、有事の際に米国等に後方支援を行うこと。
要は、空爆するための戦闘機が飛び立つ空母に弾薬を運ぶ仕事を
自衛隊がやります、ということだ。
世の中には「戦争を支援するのに『平和』とはごまかしだ」と
いう意見もあるようだが、私の印象は違う。
ストレートな、体を表した名だと思った。
古今東西、戦争は「平和のため」にやるものだった。
「戦争したいからするんだ」と戦争を始めた人がいるとは思えない。
それはいつも、「やむにやまれず」「相手の理不尽にこれ以上耐えられず」
「圧政に苦しんでいる人々を救うため」「○○という崇高な理念を実現する
ため」に行われてきたんじゃないだろうか。
少なくとも主観的には。

戦争と平和は対立しない。
戦争は平和を確立するために避けては通れない一プロセスである。
平和は黙って待っていれば訪れるものではない。不断の、あらゆる努力に
よってつくられ、維持されるものだ。あらゆる努力には戦争も含まれる。
平和のためにこそ戦争をするのだ。
少なくとも主観的には。

だから、空爆する空母に弾薬を持っていくのは、平和をつくる行為を
支援することだ。
ときにはそういうこともやらなければ、平和はつくれない。
だって相手には理屈や説得は通じないのだから。
基本的な価値観をまったく共有せず、人を人とも思わないモンスターなのだから。
少なくとも主観的には。

そうして、世界各地で戦争は繰り返されてきた。
別に特別なことではない。多くの国がやってきた、ふつうのことだ。
私たちの日本もふつうの国だ。だから平和のためには戦争をする。
だから「国際平和支援法」。何の問題もない。
このネーミングには一片のごまかしもない。
少なくとも主観的には。

――こう考えてくると、つくづく思うのは憲法9条の特殊性だ。
あれは「平和のためであっても戦争はしません」と謳っている。
たしかにふつうじゃない。だから世界を見渡しても稀にしかない。
平和のためには戦争すると謳った「国際平和支援法」の精神、
そこに表れた政府の意向とは相容れない。
だから変えなきゃいけない。
少なくとも主観的には。

……となるのか、どうか。
私たちが決断を迫られる日は近い。
空母に弾薬運ぶ行為から一緒に空爆に飛び立つ行為まではあと一歩、
というのと同じくらい近い。
あなたの主観はどうだろうか。



私は 
「憲法9条は守らなければならない」
そう思っています。

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Posted by naka602 at 22:10 | TrackBack (0)
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