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2016年1月17日
平木小・追悼集会
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1月17日午前5時46分、またこの日がやってきました。21年経ってもまだまだ辛い日です。一昨日(15日)私が震災の時に勤務していた西宮・平木小学校の追悼集会に参加してきました。智恵ちゃんから「仲島先生、平木に来てね」って電話があったのです。


今回の追悼集会には、震災当時3年生だった智恵ちゃん(現在30歳)と
2年生の瞳ちゃん(現在29歳)が語り部として招かれました。

智恵ちゃんは大学を卒業後、母校平木小に図工教師として赴任しました。
その後結婚し平木小を離れましたが「あの震災をけっして忘れない」ために
「じしんがおきた日」という絵本を制作しました。(西宮市内配布)
今回の追悼集会でもその絵本が大きく映し出され、智恵ちゃんの朗読で
全校生に読み聞かせされました。体育館の空気が急に変わりました。

その絵本の中に、瓦礫の下敷きになり両足切断になりかけた女の子の話も
出てきますが、その女の子が瞳ちゃんでした。

絵本の読み聞かせのあとに、
「その下敷きになった女の子が今ここに来ています」のアナウンスに
体育館はざわめきました。
そして瞳ちゃんが登場し、当時の様子を平木小の子どもたちに語り始め
ました。400名の子どもたちの目が瞳ちゃんに注がれました。

瓦礫に挟まれ動けなくなり、このまま死ぬんだと思ったことや
数時間後に助け出され、お兄ちゃんに抱かれて病院に行ったこと、
両足切断寸前までいってたことも話してくれました。
そして仲よしの白瘁iしらすぎ)さんが亡くなったことを話し始めると
こらえ切れずに涙がこぼれてしまいます。21年経っても悲しみはまだまだ
癒されていません。
そして最後に「命を大切にしてね」というメッセージを送りました。


智恵ちゃんも瞳ちゃんもみんなの前であんなに堂々としゃべっている姿に
感動してしまいました。特に瞳ちゃんは、ひ弱い女の子って感じだったので
しっかりと強い人になったなあと感心しました。

当時、瞳ちゃんは、瓦礫から助け出されましたが両足のダメージが大きく、
長い間学校へ来れませんでした。ようやく登校してきたのは3年生になって
しばらくしてからでした。松葉づえを使いながら登校してきました。
遠足には私がおんぶして連れていきました。
その後、ずいぶん歩けるようになり、高学年の時はもうわからないぐらいに
回復していたので、これで大丈夫と思っていたのですが、
実はついこの前までは足のことがずっとコンプレックスだったという話に
心の傷も深かったんだと涙が出ました。


瞳ちゃんと智恵ちゃんとは、平木小の教え子になりますが
その後のつながりにも不思議な縁がありました。

瞳ちゃんは仮設住宅から復興住宅に移る時に転校し、
深津中学校では、私の息子と同じクラスになるのです。
息子と瞳ちゃんは今もフェイスブック等でつながっています。

智恵ちゃんも仮設住宅から復興住宅に移る時に転校します。
西宮浜に引っ越しです。そこで智恵ちゃんの妹のみかちゃんを
私が担任することになったのです。(私も西宮浜小に転勤)
そうして智恵ちゃん、みかちゃん、お母さんとは今も
つながっているのです。



阪神淡路大震災から21年。
涙が枯れることはありません。
5時46分 黙とう。





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Posted by naka602 at 23:13 | TrackBack (0)
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