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2016年3月25日
修了式
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3月25日修了式。今日で学校の1年が終わります。この日はみんなとお別れの寂しい日でもありますが、1年をやり遂げたという充実した素敵な日でもあります。

先生になった1年目の修了式(23歳)、
今津小3年3組の子どもたちと最後に六角堂の前で撮ったクラス写真は
私の一生の思い出になっています。(拙著「教師力を磨く」P13)

3年目の修了式(25歳)、段上西小3年1組の子どもたちとお別れした夕方、
アキヒロのお母さんが
「今日アキヒロが学校から走って帰ってきました。そして私に抱きついて
ウォンウォン泣くんです。どうしたの?どうしたの?って聞くと
『仲島先生とお別れだもん』と泣きながら言うんです」
学校では涙も見せずにしっかりしていたアキヒロが一目散に家に帰って
お母さんに抱きついて泣いてくれたのです。


19年目、1998年3月25日の修了式(41歳)のことです。
式が終わり教室に帰ってくると、子どもたちが「先生ありがとう!」と
手作りのくす玉を割ってくれました。この日のために、何日もかけて
こっそりと作ってくれていました。なんて嬉しいことなのでしょう。

そのあと、担任仲島の最後の言葉です。それは学級通信の最終号です。
いつもよりずいぶん長い学級通信最終号ですが、BGM付の私の朗読を
子どもたちは涙を浮かべながら聞いてくれます。


「よい41倶楽部 最終号(212号)」 須南小4年1組
ありがとう みんな。

とうとうこの日がやってきました。3月25日みんなとお別れの日です。
「寂しいなぁ」「悲しいなぁ」そんな気持ちでいっぱいです。でも一方では「あぁとってもいい一年だったなぁ」と幸せな気分にもさせてくれるのです。

去年の4月6日の夜、明日は始業式、4年1組の子たちとどんな出会いをしようかな、学級通信はどうしようかな、などと悩んでいました。そんな時に友人から電話がありました。その中にプリクラの話がほんのちょっとだけ出たのです。その時にパァーーッとひらめいたのです。今からプリクラを撮りに行こう、そして学級通信の名前は「よい41倶楽部」通称「よいクラ」これにしよう!と決め、娘(中3)についてきてもらい、初めてプリクラを撮りました(この時4/6午後10時30分) これが「よい41倶楽部」誕生の瞬間だったのです。今までの学級通信の名前は真面目な名前しかつけなかったのに「よい41倶楽部」なんてつけたら「ふざけるな!」って叱られないだろうか、プリクラを連絡帳に貼ったりしたら「今度の先生は変や!」と思われないだろうかと少し心配だったのですが・・・。

それから1年が経ちました。この「よい41倶楽部」も200号を超えました。いろいろあったなあ〜と、この1年間のことが思い出されます。

始めのうちは先生一人だけが走っていたジョギングも、知らないうちにどんどん増え、今ではみんなでいい顔しながら走れるようになりました。よい41ジョギングは、体力をつけるというよりも、みんなの心をひとつにし、心を鍛えていたような気がしています。「しんどいけど楽しい」こんな感想を言ってくれた子がいました。とってもうれしかったです。

「支え合う算数」支え合う学習はここから始まりました。みんなで支え合って学習すれば、楽しいし、力もつく、こんなことがわかりましたね。国語の時間も自分たちで学習を始めました。体育でもリレー、ハードル走とチームの仲間で協力しあい、自分たちでいろんなことを発見し、力をつけていきました。授業に先生が遅れたって、先生がお休みしたって「へっちゃらよ」と言わんばかりに自分たちで何でもするようになったあなたたち。本当にえらいなあと感心してみていました。

そして10月2日の【支え合う仲間】はずし事件が起こりました。この時、先生はね、正直に言うと「もしかしたらダメかもしれない」と少し思っていました。でも一方では「この子たちなら必ず跳ね返ってくる」と信じてもいました。もし跳ね返ってきたら「このクラスはもう大丈夫!」でもダメだったら「このクラスの成長は止まる」そんな大きな出来事だと私は思っていました。変な言い方になるかもしれないけど、これは大きな賭けでした。
そしてその大きな賭けをあなたたちは見事に乗り越えてくれました。みんなで団結して「支え合う仲間」になりました。それ以降のあなたたちの事件は「すばらしい!」の連続でした。「遠足の弁当の輪事件」「カレーライス事件」「パン箱事件」「つなひき事件」「鑑賞会踊り事件」「よい41合唱団事件」「もう10才だもん事件」「うんこがコロリ事件」「終業式マット事件」「よい41ジョギング事件」「よい41ボール事件」「あさのあつこさん事件」・・・・・・・などなど・・・たくさんありすぎて思い出せないくらいです。

そんな中「跳び箱マット事件」というのがありましたね。あの事件のことを思い出すと、今でも胸が熱くなります。あの時、クラス全員が体育館にやってきて、森原さんがフワリと跳び箱の上を回った瞬間、クラス全員の手がバンザイをし「ヤッタ!」の声、みんなのすばらしい笑顔、一人の喜びがみんなの喜びになった瞬間でした。あの時、私は涙がドッドッとあふれてきて、みんなの姿がボォーとしか見えなくなりました。そして恥ずかしくて、一人先に教室に帰りました。階段で涙を必死にこらえ、教室に入ったとたん、また涙がポロポロ出てしまいました。めちゃくちゃ感動した出来事でした。授業中にあんなに涙が出たのは初めてのことでした。

あなたたちは、この1年間でとっても大きくなりました。とっても成長しました。「舞は10才です」のおばあちゃんが言ってたように「10才の可能性」をしっかり見せてくれました。「この子らはすごい!」本当にそう思いました。

こんなアホな先生のもとによくついてきてくれました。すぐ怒る、笑う、アホなことばかりする、「今度な」と言ってなかなかしない、机の上が汚い、いい加減、字がちっちゃくてきたなくて読みにくい、「知らん、自分で考えろ!」と教えてくれない、・・・・そんなアカン所がいっぱいある先生なのに本当によくついてきてくれました。そんなあなたたちに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとう。

5年生になったら、この「よい41倶楽部」で学んだことをみんなに広げてください。4クラスに分かれて、どんどんその仲間を増やしてください。支え合う仲間の事件をどんどん起こしてください。
5年生の新しいクラスになってからも「4年1組がよかった」と後ろを振り返るのはいけません。だってあなたたちはもう5年生なんだから。
「4年1組がよかった」ではなく「4年1組もよかった」と言えるようになってほしいと思っています。それが私からあなたたちへの最後のお願いです。

「よい41倶楽部」のみなさん、そしておうちの方々。1年間本当に本当にありがとうございました。あなたたちに出会えたことは、今年最高の喜びであり、幸せでした。あなたたちは、私の自慢であり、私の誇りであり、私の宝物です。
またいつの日か会えるのを楽しみにしています。元気でね。
本当に本当にありがとうございました。 さようなら。
       1998.3.25  仲島 正教



その日の夕方、Yさんのお母さんが学校に飛んできました。
「先生、転勤するのと違うやろね。それはアカンで!」


1週間後、私は西宮浜小へ転勤になりました。



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Posted by naka602 at 12:19 | TrackBack (0)
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