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2020年8月10日
加田キャプテン頑張ったね
センバツ大会の代替として今日から甲子園で交流試合が始まりました。また夏の大会の代替として、各都道府県で独自大会も開かれていました。独自大会のスコアは新聞にも載っていたので、毎日見ていました。

八戸学院光星(青森)
盛岡大付属(岩手)
健大高崎(群馬)
帝京(東東京)
滋賀学園(滋賀)
石見智翠館(島根)
明徳義塾(高知)
創成館(長崎)

の8校には特に注目していました。
なぜか? それはこんな本を読んだからです。
「オレたちは『ガイジン部隊』なんかじゃない〜野球留学生ものがたり〜」
(菊地高弘著・インプレス)

甲子園に出て有名になろうとする私立高校はたくさんありますし、
実際に甲子園で名前が売れると入学者も増えるようです。
この売名行為や野球留学生を集めることに批判も多いのです。
今回の甲子園の交流試合に出場する健大高崎(群馬)は、留学生が多いので
「健大高崎」ではなく「県外高崎」と批判されることもあったようです。
あの大谷翔平がいた花巻東が決勝で盛岡大付属に負けた時、盛岡大付属の
キャプテンがインタビューを受けている最中に「よっ、横浜瀬谷ボーイズ!」
という心無い言葉が飛んだこともあったようです。

私も15年ほど前までは「野球留学生」には批判的でした。
でもその子たちがどんな思いで地元を離れ、見ず知らずの土地で寮に入り、
頑張ることや、留学生としてのプレッシャーに耐えながら甲子園を目指す
ことがどんなにしんどいことかを考えると、批判ではなく応援してやりたい
という気持ちに変わっていきました。
2年前の甲子園決勝は、大阪桐蔭vs金足農でしたが、世間は判官びいきも
あり、金足農の応援一色になっていました。マスコミもそうでした。
金足農はあれよあれよという間に決勝進出でした。気持ちは楽です。
でも大阪桐蔭は甲子園で優勝するために集まり、負けることは許されないと
いう大きなプレッシャーの中でずっと戦ってきました。それはそれはしんどい
毎日だったことでしょう。(実は金足農も県内で集まられたチームです)


私の息子が言ってました。高校3年の夏のインターハイ予選を勝ち抜き、
見事インターハイ出場が決まった瞬間 「嬉しいというより、ホッとした」
と言ったのです。強豪校ならではのプレッシャーにしんどかったのでしょう。
野球留学生の彼らのプレッシャーはそんな息子の比ではありません。


今回の本には、全国8校での選手や監督の取材が文になっていました。
知らないことがいっぱいありました。選手自身の苦悩や監督の想い、そして
地元の人の温かさなど、感動することがたくさんありました。
著者はもともと留学生に批判的だった人なのですが、取材をしながら変わって
いく様子もよくわかり、共感できました。


取材は昨年の秋から冬にかけてだったので、今回の交流試合や独自大会が
その子たちの最後の大会になっていたのです。

一昨日、東東京大会の決勝がありました。
新聞記事に載っていました。
「帝京が9年ぶりに東東京を制した。武藤のスクイズで同点にし、新垣の
二塁打でサヨナラ勝ち。主将の加田は「絶対に自分たちの代で優勝すると誓った。
甲子園はないけど本当にうれしい」と。

小さな記事でしたが、本で読んだ留学生の名前が出ていました。
スクイズの武藤は群馬、サヨナラ打の新垣は沖縄、主将の加田は大阪出身の
留学生です。(あと1人大阪から来た小松で留学生は4人)
本の中では、この主将の加田と副主将の小松が大阪出身で、9年間甲子園から
遠ざかっていた帝京の野球部の体質を変えていく様子が描かれていました。
加田や大谷の厳しい言葉への反発、逆に東京人の体質への不満がぶつかり合い、
チームがなかなかまとまっていかないのです。それがだんだんと理解し合うよう
になり、チームが変わっていきます。エースの田代もキャプテン加田への反発
が尊敬に変わっていきます。昨日のネットニュースでは田代のことも書かれて
いました。本を読んだだけですが、私の頭の中ではその映像が鮮やかに出てきて
笑みと涙が同時に浮かんできました。

「9年ぶりの古豪復活『帝京』」
甲子園大会が行われていたら、こんな記事が載ったと思います。



帝京の前田三夫監督
「今まで加田みたいなキャプテンはなかなかいませんでした。悪いものは悪いと、
そのメリハリがついています。最近の主将の中では一番。
選手の行動を変えるのには、指導者よりも同級生からの指摘が一番です。だけど
気持ちが優しいのか、傷つくことを恐れて、指摘はなかなか難しい。加田はそれが
出来る。私が言いたいことを全部言ってくれますし、頼もしいです。今までの主将
が悪いわけではありませんが、どこか物足りなさがあった。加田は本当にいいです」


本の取材の中で、著者が加田に「帝京魂」とは何ですか?と聞くと彼は
「敵は監督ではないということですかね。監督ではなく相手と戦うのです。
去年までは 『監督に怒られないようにするにはどうすればいいか』 とか
『監督の求めているものは何か』 と考えすぎて、目の前の敵と戦えて
いませんでした。今は監督から自分たちに任せてもらって、目の前の敵と
戦えていると思います」


加田キャプテン、偉いぞ、凄いぞ、
加田の大阪魂が「帝京魂」を再び呼び覚ましたんだぞ。
加田キャプテン〜〜〜〜!
よ〜〜く頑張ったな。




※雑記
・帝京が甲子園の夏の大会で初優勝した時(1989年)、
 帝京のプラカードを持っていた市立西宮高校の生徒は私の教え子です。
・帝京の縦じまのユニホームとネームの下地の黄色は、阪神タイガースの
 ユニホームがモデルになっています。




Posted by naka602 at 11:51 | TrackBack (0)
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