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2020年9月25日
谷本眞一先生
どんちゃん騒ぎが大好き、お酒が大好き、タバコが大好き、ゴルフが大好き、そして何より人間が大好きな谷本先生がとうとう逝ってしまいました。69歳の若さでした。

棺の中の谷本先生のお顔は、飲み会で喋って歌って飲んだあとに
幸せそうに寝ている時のお顔と同じでした。思わず
「もう帰りますよ。タクシー呼んでますよ。さぁ起きてください」
と谷本先生に話しかけました。
「お〜しゃないのう〜帰ろか」
といつもは返事をしてくださるのに、今日は眠ったままでした。


不真面目なように見せかけて実はめちゃ真面目、大胆で豪快に見えるけど、
実は緻密で繊細で計画的、遊び放題だけど勉強しまくりで何でも知っている。
ワイワイ騒いでいるけど洞察力はずば抜けている。
仕事には厳しいけど、優しくてめちゃくちゃ面倒見のいい親分肌。
なんだかわけのわからないとっても変な谷本先生ですが、
先生たち、子どもたち、保護者の方々、地域のみなさんから
絶大な信頼を得ている校長先生であり、愛されている校長先生でした。
とにかく凄い校長先生でした。

教え子たちもそれぞれが「私が一番かわいがってもらった」
先生たちもそれぞれが「私が一番かわいがってもらった」
保護者もそれぞれが「うちの子どもを一番みてくれた」と言うのです。
そういう私も「一番かわいがってもらった」と思っているのです。
私はみんなと違い、谷本先生のクラスでもないし、同じ職場だったこと
もない「部外者」なのですが、めちゃくちゃかわいがってもらったと
思っているのです。たぶん部外者では一番です。
谷本先生は私のことを「セイキョウ〜」と呼びます。
ホントは正教(まさのり)ですが・・・(笑)


そんな谷本先生は、
今から13年前に「前立腺癌」が見つかり、校長在職中から治療に入りましたが、
そんな様子はまったく見せずにずっと元気にふるまっておられました。
「大好きなゴルフは週に1回は行きたい。だってワシの名前は谷本週一だ」
(本当は眞一です(笑) 校長退職後は「谷本週二」になったと(笑))

そんな元気だった谷本先生に2018年12月「余命1年」が告げられました。
翌2019年3月の「生前葬」には、約200名の人が集まりました。
娘さんとお孫さんの歌の時は涙が出ましたが、あとは「どんちゃん騒ぎ」
の4時間の大宴会でした。
「これが一番ええんや」本当に谷本先生らしい生前葬でした。


生前葬以降もお元気だったので「余命1年」は信じることが出来ませんで
したが、1年半を過ぎたころから、少しずつ弱っていく様子が見えました。
自分でもよくわかっておられたのでしょう。田舎に帰り、親戚にもお別れの
挨拶をしたり、お寺に頼んで戒名も頂いたそうです。身の回りの片付け、
家の掃除も、そして遺言まで書いておられたようです。

そして亡くなる3日前の9月19日には、本当は動ける状態ではなかったそう
ですが、残る力を振り絞って、最後の職場(深津小)の先生たちのもとに
出かけ、1人ひとりに色紙と言葉をかけて自宅に戻ったそうです。
その夜から食事が出来なくなり、優しい家族に見守られながら
22日に眠るように天国へ旅立たれたそうです。


今日は家族葬でしたが、多くの人が集まり、お見送りをしました。
出棺後、霊柩車は少し回り道をして、深津小学校前を通りました。
私も先回りして深津小前に行くと、先生方が並んで待っておられました。
「燃えてとことんかかわって心入れて」
谷本校長が赴任直後に発した「深津の合言葉」を持って並んでいます。
そこに谷本先生を乗せた霊柩車がやってきました。
「タニモトセンセ〜〜〜」「ありがとうございました〜〜〜」
悲鳴のような声がかかりました。
霊柩車は速度を落として一時停止、警笛を鳴らし深津を後にしました。
ドラマのような最期にきっと谷本先生も喜んでおられたと思います。

谷本眞一先生
本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。




Posted by naka602 at 20:55 | TrackBack (0)
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