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2011年3月31日
3夜連続
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日、月、火 と3夜連続で、教え子と飲みました。幸せな3日間でした。
 
 日曜日。 32歳になる教え子で、5年生で担任した子です。
たまたま私の妻の同僚の友人の友人という縁がきっかけで会うことになりました。
21年ぶりの再会でした。顔がわかるんだろうか?お互いそう思っていましたが、
すぐにわかりました(笑) 彼は変わっていませんでした。先生も変わってへんなと
言われました。
 彼は、教室で飼っていたメダカをすごく大事にしてくれていた子です。
5年生は1学期に理科の勉強でメダカを飼うのですが、3学期になるとほとんど死んで
しまいますが、私のクラスのメダカは1匹だけ生き残っていました。彼の毎日の世話の
おかげです。ある日、彼は1匹だとかわいそうだと思ったのか、学校の帰りに友だちと
一緒に川に入ってメダカ獲りをしてひどく怒られました。友だちのお家の人がなかなか
帰って来ないので、探しに行くと川で遊んでいたからという理由です。でも私はほめて
やりました。
 そんな優しい彼のお母さんは、5年生の時にガンで亡くなりました。めちゃ豪快なお母さ
んだったので、本当に信じられませんでした。一時退院して自宅に帰って来られた時の
家庭訪問のことは今もはっきり覚えています。それからすぐです、亡くなったのは・・・。
 彼は、私と同じく「沖縄ファン」です。かつてダイビングで1年ほど沖縄の恩納村に住んで
いたそうですが、沖縄の話で大いに盛り上がりました。 私が、
「この前、ビギンのCDを買って、オリオンビールの歌を練習してるねん」 と言うと
「それ、僕も大好きです。『オジー自慢のオリオンビール』でしょ(笑)」
この曲は、沖縄ファンか、沖縄の人しかわからないでしょうね(笑)
 
 
 月曜日。 22歳になる教え子で、2年生で担任した子です。
彼が中3の時以来ですから、7年ぶりぐらいの再会です。
中3の時になぜ会っていたか・・・・・それは彼が問題を起こし、警察に逮捕されたからな
のです。補導ではなく逮捕です。そんな衝撃的な知らせを受けて家庭訪問に行って以来
の再会でした。
「仲島先生は180cm以上あった印象だったけどなあ」 (実際は170cmです)
と話してくれました。そうとう怖かったのでしょうね(笑)
高校では更生?し、この3月に無事大学を卒業し、この不況の中しっかり就職しました。
その就職祝いということで再会したのです。
 彼は大学で教育実習以外の教職の単位をすべて取りました。
「オレ今からでも先生なれるかな?」 
「十分なれるぞ。お前みたいな奴が教師になってほしいんや」
 彼はこんなことも話してくれました。
「体育の時間、忍者ごっこで使った『忍者頭巾』 今も大切に持っているんやで」
めちゃめちゃうれしい言葉でした。
 
 
 火曜日。 29歳になる教え子で、3、4年生で担任した子です。
彼女とは2週間ぶりぐらいの再会です(笑)
彼女は現在小学校の教師として頑張っています。
「仲島先生みたいな授業がしたい」 そう言って教師をめざしてくれた子です。
そんな彼女もずいぶん苦労しました。
教員採用試験の日、体が痛いと言って欠席したのです。
体が痛いぐらい我慢して試験を受けろ、と思っていましたが、症状はひどくなる一方で
やがてほとんど歩けなくなりました。大学付属病院で診察してもらいましたが、なかなか
よくなりませんでした。お医者さんも悲観的な見方でした。愛媛の実家に戻っていた彼女
を見舞いに行った時、私は笑顔で 「大丈夫や」 って言ってやりましたが、
その状態を見て、正直あかんと思いました。 
でも奇跡は起こるのです。医者もびっくりの回復ぶりで、見事復活したのです。
「仲島先生、今度初めて6年を担任するんです。大丈夫でしょうか?不安なんです」
「大丈夫や」
今回はうそではなく、本心で 「大丈夫や」 と言ってやりました。
 
 
 
 
※九州学院の不敗神話は、ついに崩れました。
「夏にまた会いましょう」 そう言ってみんなと別れました。
その中の一人の生徒が、この春、神戸女学院大学に合格しました。私が非常勤講師
をしている聖和短大のすぐ隣にある大学が神戸女学院です。なんかうれしいですね。
 
 

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2011年3月26日
九州学院 不敗神話
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今日は、甲子園球場に
昨年、講演に行った九州学院高校(熊本県)の応援に行ってきました。
 
今回は震災のこともあり、応援団は縮小されていましたが、アルプス席には九州学院
のOBたちがたくさん詰めかけていました。白髪のOBもいますし、関西だけでなく、
全国からOBが集まってきていました。さすが九学ですわ。
私も九学の帽子とタオルを首に巻いて応援しました。
そんなみんなの熱い応援に後押しされたのでしょう。
国学院久我山(東京)に、8−7のサヨナラ勝ちで1回戦を突破しました。
 
これで私が昨年夏から甲子園で九学を応援した試合はすべて勝っています。
「私が行けば勝つ」 九学の不敗神話は続いています。
(昨年夏の甲子園では、ベスト8の戦いで東海大相模に負けたのですが、
 その時は仕事で行けなかったのです。だから負けたのです、多分(笑))
今大会の日程をみると、私はすべて応援に行けますので、九州学院は優勝ですよ。  
  「頑張れ九州学院!」
 
 
 
 
夜は、娘のお薦めの大阪・天満の韓国料理店に行って
久しぶりに家族4人で外食をしました。
子どもたちが小さい時は、家から一緒にお店に行くのが当たり前でしたが、
子どもたちも大人になり、今日はみんなそれぞれの場所から、
夕方6時に天満駅に集まりました。 
こんな家族の外食もいいもんです(笑顔)
 

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Posted by naka602 at 21:27 | TrackBack (0)


2011年3月23日
センバツ高校野球開会式
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自宅から自転車で10分ほどで甲子園球場に着きます。
 
今朝は、センバツ高校野球開会式に行ってきました。
今年の開会式は、東日本大震災のこともあり、短縮バージョンでした。
グランド1周の入場行進が、外野からの直線のみになりました。
せっかくあこがれの甲子園に来たのだから、1周歩かせてやりたいなと私は思い
ましたが、それでも短い直線を一生懸命に歩く高校生の姿には感動しました。
 
佐渡島から初出場の佐渡高校の一糸乱れぬ行進に大きな拍手が送られます。
また茨城県勢や東北県勢の行進時には拍手が一段と大きくなりました。
そして避難所でボランティアをしていた東北高校の選手の行進の時には、
この日一番の大きな大きな拍手が送られました。「がんばれ!」の声も聞こえました。
なんか自然に涙が出ましたね。
 
選手宣誓もすばらしかったです。
心をこめて語りかけるように宣誓する高校生にまたまた涙が出そうになりました。
http://www.youtube.com/watch?v=FI2BFNwT0c0
 
甲子園は温かいです。
きっと被災地のみなさんも、こんな高校生の姿に元気をもらえると思います。
「がんばろう!日本」  
これがセンバツ大会のスローガンです。 きっと被災地に届くことでしょう。
 
 
 
 
それに比べて・・・・プロ野球の開幕のゴタゴタは・・・・・悲しいです。
それぞれの立場があり、どんな時にも賛否両論が出てくるのは仕方ないにしても
巨人のフロントの言葉は、いただけないですわ。
もう少し言い方もあるだろうに・・・・。
もう少し周りの状況をみて判断すればいいのに・・・。
巨人が当分の間、東京ドームの分をキャンプ地である宮崎や沖縄で開催するとか
九州新幹線に乗って熊本で実施するとかしたら、巨人の株も上がると思いますけどね。
 
 
 
 

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2011年3月20日
あなたたちは一人じゃない
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小学校の先生が 「子どもたちに希望を伝えたい」 とつくりました。
   
「あなたたちは一人じゃない」
 http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc
 
 

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2011年3月18日
みんなで頑張ろう
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2か月に一度の
体育科教育(大修館書店)「巻末エッセイ」の原稿を東京に送りました。
 
実は今回、
日本ハムの斎藤佑樹のことを書いていたのですが、原稿送付の直前に
東日本大震災がおこり、急きょ原稿を書き直しました。
書き直した表題は
「東日本大震災 みんなで頑張ろう」
です。
今回の震災と16年前の阪神大震災のことを重ねて書いた応援メッセージです。
 
体育科教育5月号の発売は4月15日頃です。
この応援メッセージが、関東・東北に届けばうれしいなと思っていますし、
その頃には、状況が少しでもよくなっていることを祈っています。
 
そして今日は
義援金を振り込んできました。
今私たちに出来ることは、わずかしかありませんが、義援金もその一つです。
私と妻がそれぞれ10万、娘が5万、息子が3万と、計28万円送りました。
復興支援に少しでも役に立てば幸いです。
 
 
みんなで頑張ろう!  今はこれしかありません。
 
 

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Posted by naka602 at 13:44 | TrackBack (0)


2011年3月16日
教え子は無事でした
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福島県いわき市に教え子が住んでいましたが、
昨日、なんとか連絡がつきました。
「センセイ、ありがとうございます。おかげさまで無事です。
 今、原発の関係で東京方面に避難しているところです」
 
よかったです。本当によかった。
でも本人は多くの犠牲者のある中、喜びはあまり表せないようです。
それにしてもやはり原発は怖いです。
 
 
茨城県の知り合いの教頭先生も無事でした。
その小学校も緊急放送もできないくらい大きな揺れだったようです。
さいわい校舎もつぶれず、子どもも全員無事だったのですが、近隣の中学校の校舎は
倒壊したそうです。でも生徒は無事だったということです。
 
 
寒さが厳しくなっていますが、なんとか頑張りぬいてほしい、
そう祈るだけです。
 

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2011年3月14日
ぼくが生きる今日は
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東日本大震災
テレビに映し出される映像に涙が止まりません。
犠牲者の数に言葉を失います。
 
 
避難所の様子は、16年前の阪神大震災を思い出させます。
あの日、私の学校の避難所にも多くの人が安否確認にやってこられました。
壁に張り出す名前を食い入るように見ている被災者の方々・・・。
 
今、避難所では、
寒さ対策は?毛布は?水は?薬は?食べ物は?ミルクは?おしめは?・・・・・
そしてトイレは大丈夫でしょうか。
報道はされませんが、実はトイレは本当に大変なのです。
トイレ掃除に今からすぐにでもとんで行きたい、そんな心境です。
 
 
東日本大震災の翌朝、福井県あわら市で講演でした。
その翌日の福島県いわき市での講演はもちろん中止でしたが、
今日は広島県福山市での講演でした。
正直こんな時の講演はつらいです。
ゲームのようなことをしたり、笑いの話をいっぱい入れる私の講演は、
こんな状況下で、してもいいのだろうかと自問自答してしまいます。
あれはやめようか、これはどうしようかと悩みました。
でも、
結局はいつも通りでいきました。
 
 
思い出しました、阪神大震災の時も 「元気が一番」 「笑顔が一番」
そして 「一生懸命に生きる」 それが大切なことだということを。
今日の講演会でも、いつものギャグを飛ばして笑ってもらいました。
会場に笑顔がいっぱい生まれました。
これでいいんです、これで。 
そう思っています。
 
 
息子(24歳)の部屋から音楽が聞こえてきました。
「かりゆし58」 の 「♪さよなら」 という曲です。
 
♪ ぼくが生きる今日は
    もっと生きたかった誰かの明日かもしれないから ♪
 
 
一生懸命に生きる・・・・・・あらためてそう思います。
 
 

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Posted by naka602 at 22:04 | TrackBack (0)


2011年3月12日
言葉が出ません 東日本大震災
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東日本大震災
テレビの画面を見ながら、胸が苦しくなります。
あまりの悲惨な状況に言葉が出ません。
 
 
「今、どこにいますか?」 「無事ですか?」
そんなメールが昨夜から私の元にたくさん届きました。
「私は大丈夫です。今、福井県にいます」
そう返信したのですが、
予定では今日から福島県いわき市に行くことになっていました。
いわき市での講演はもちろん中止になり、西宮に帰ってきました。
 
いわき市の講演会場は、甚大な被害が出ている小名浜の近くでした。
昨年11月に行った茨城県大洗町も津波にのみ込まれました。
テレビには行ったことのある地名がどんどん出てきます。
 
本当に信じられないです。
 
今はただ祈るだけです。
 

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Posted by naka602 at 21:34 | TrackBack (0)


2011年3月10日
高槻マラソン
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「あぁそうやったなあ、ここやここや、ここを走ったんや」
 
今朝のNHK朝の連続テレビ小説 「てっぱん」 は、
主人公あかりの恋人の滝沢さんが、高槻マラソンに挑戦するシーンでしたが、
ロケ地は、本当に高槻市の陸上競技場でした。実際の「高槻マラソン」の中でロケを
していたようです。
 
 
今から11年前、6年生の担任をしていた時です。
いろいろ問題を起こすゴンタの5人組と、私は毎朝運動場を10周走っていました。
ある事件後に「毎朝10周走る」という約束がきっかけでした。
2学期から走っていましたが、最初は文句を言いながらでしたが、次第に走ることにも
慣れてきて、3学期になると10周も苦ではなくなってきたようです。
「今度、高槻のマラソンに出てみないか」
そんな私の提案に5人はのってくれました。
 
11年前の2月、私たち6人は電車に乗って1時間、今朝の「てっぱん」で映っていた
あの陸上競技場に到着しました。一緒に着替えた体育館も映っていました。
そして小雨の降る中、ファミリー3kmコースをスタートしました。
5人はあっという間に私を引き離し、走り去っていきました。
最初はその背中を追っていた私ですが、途中からはまったく見えなくなりました。
だんだん雨が激しくなってきた中、私は一人で心細く走っていました(笑)
「あーしんど」
 
やっと競技場が見えて、ようやくゴールすると、
「センセイ、遅かったな」
そこには5人が笑顔で待ってくれていました。
 
そのあと雨をさけ、近くのテントの下に入り、6人で温かいうどんを食べました。
うどんは格安100円です。でも寒い体を温めるには十分です。
「センセイ、めちゃうまい。今までのうどんで一番や」
「センセイ、ありがとう」
たった100円のうどんをこんなに喜んで食べる5人を見て、こいつらを抱きしめて
やりたくなりました。
いろいろあったこの子たちですが、本当にかわいいやつらです。
卒業まであと1カ月。 もう涙の準備は十分できていました。 
 
 
そんな11年前のシーンが鮮やかによみがえる今朝の 「てっぱん」 でした。

「てっぱん」 も最終回まであと2週間、涙の準備はもうできています。
 

 

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Posted by naka602 at 08:23 | TrackBack (0)


2011年3月3日
「西光万吉と水平社宣言」
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3月3日、奈良市の鼓阪(つざか)小学校に行ってきました。
鼓阪小学校は、明石家さんまの卒業した学校です。校長室には、当時さんま少年が
捕まえたムササビの剥製が飾ってありました。この剥製はかつては理科室にあったの
ですが、さんまが有名になり、校長室に進出しました(笑)
 
鼓阪小学校の場所は、あの正倉院の隣です。その向こうには東大寺の大仏殿が
見えますし、その後ろは若草山です。だから小学校の校舎もお寺風なのです。
そんなすごい小学校です。
 
講演会のあと、教頭先生にフィールドワークに連れていってもらいました。
さんま少年がよく遊んだといわれる公園も教えてもらいましたが、
何より一番感動したのが、あの「水平社宣言」をみんなで考えたという建物です。
古い民家ですが、今もしっかりと残っているのです。
この建物の2階で、あの西光万吉さんや阪本清一郎さんたちが考えたのです。
ここで 「水平社宣言」 は生まれたのです。
 
くしくも今日3月3日は、水平社創立の日です。
今から89年前の、1922年3月3日京都・岡崎公会堂で、高らかに「水平社宣言」が
読み上げられました。
そんな凄い日に、私がここに立っていることに、鳥肌が立ってしまいました。
 
 
水平社宣言の原文はなかなか難しいこともあり、授業に使う時は、少し苦労するの
ですが、花園大学の川内先生がこんな文に書き直しておられました。
そこから一部抜粋して紹介したいと思います。
 
・・・・・・人間は支配・抑圧をする者とされる者、差別する者と差別される者という関係で存在すべきではなく、互いに尊敬しあうべきものなのだ。・・・・・人間にとって、まことの 「いたわり」 とはどのようなものであるのか。我々はよく知っているのだ。喜びや、悲しみや、悩みや、痛みを、我が事として分かち合い、親身になって、助け合い、励まし合い、支え合う、「共感・連帯・共生」 の思いと実践をつらぬき通して生きていくことこそが、本当に人間を 「いたわる」 ことだということを。
だからこそ、我々は人々の生きていくこの世の営みの中で、まごころのこもった熱い血のふれあいと交わりが生まれることを願わずにはおられない。冷たい差別の壁を打ち破り、切り拓いて、輝かしい光がすべての人々の行く手を照らし、すべての人々の上に充ち溢れる、そんな完全解放の 「よき日」 の到来を、強く、強く願わずにはおられないのである。
 我々は、心から 「人生の熱と光を」 願い求める。
 水平社は、このような願いの中で生まれた。
 人の世に熱あれ、人間に光あれ。 
            大正11年3月3日(1922年) 全国水平社創立大会
 
 

私の21年間の教室現場での、
最後の公開研究授業(6年)は 「西光万吉と水平社宣言」 でした。
 

 

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Posted by naka602 at 14:39 | TrackBack (0)


2011年3月2日
おじいちゃん 安らかに
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この前、鳥取県に行った時に
シンポジウムでご一緒したおばあちゃんから聞いたお話です。
 
おばあちゃんは、小学校3年生の男の子のお孫さんと一緒に暮らしているのですが、
その孫とおばあちゃんのお父さんつまりひいおじいちゃん(96歳)とのお話です。
小3の孫が戦争に興味を持ち、ひいおじいちゃんから戦争の話を聞くようになりました。
おじいちゃんはひい孫のために一生懸命に話し、孫はひいおじちゃんの話を楽しみに
聞いていたようです。そして話の最後は、いつもひいおじちゃんの敬礼だったそうです。
 
昨年末に、キムタク主演の「宇宙戦艦ヤマト」が上映されると、
小3の孫と96歳のひいおじいちゃんが2人で映画を観に行きました。
それ以降、家では、ひいおじいちゃんがこめかみに敬礼をすると、
孫はヤマトの古代進(キムタク)を真似て、胸に握り拳をあてる敬礼をしていたそうです。
小3の子どもと96歳のおじいちゃんの2人の敬礼は、見ていて本当にほほえましかった
そうです。
 
そんな孫と元気に過ごしていた96歳のひいおじいちゃんが、
1月のある日、突然天国に逝ってしまいました。
小3の孫は急いで病院にかけつけたましたが、間に合いませんでした。
孫は、ひいおじいちゃんの顔をじっと見つめたあと、
背筋をピンと伸ばし、まだ温かさが残っていたひいおじいちゃんの手を左手で握り、
右手は胸にあて、あの敬礼をしながら泣いていたそうです。
 
「そんな2人の様子を見て、私も涙がとまりませんでした。私はあまりいいおばあちゃん
ではないけど、うちの孫はきっと優しい子になってくれると思うんですよ」
と、おばあちゃんは目に涙を浮かべながら、私に話してくださいました。
 
 
私は、このイイ話を家に帰ってから妻に話しました。
そして同じように胸に手をあて、
「こうやってひいおじいちゃんを送ったんや」
と話そうとする声が、思わず涙声になってしまいました。
 
 
 
今日3月2日は、私の父の命日(享年79歳)です。
あれから3年が経ちました。
「おじいちゃん元気にしていますか」
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:32 | TrackBack (0)


2011年3月1日
頑張れ高浜!そして戻ってこいよ
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今日、千葉ロッテマリーンズから発表がありました。
FA小林の人的保障ということで、タイガースの高浜卓也選手(21歳)がロッテに移籍
することになったのです。
高浜選手は、3年前ドラフト2位で横浜高校から入団しました。横浜高時代からシュアな
バッティングをする期待の新人でした。でも怪我に泣き、この3年間ずっと2軍暮らしで、
今シーズンから、とうとう背番号は36から66に変わりました。これは降格ということです。
36番は、あの期待の新人の一二三(ひふみ)投手にとられたのです。
そんな屈辱に負けずに、必死でがんばる高浜選手は今年のキャンプで大活躍しました。
でもその大活躍が裏目となり、ロッテに獲られてしまったのです。
 
実は、私は高浜選手には、思い入れがあったのです。
3年前の安芸キャンプで、一番先に目にとまったのが高浜選手だったのです。
その時のブログにはこう書いていました。
 
  (2008年2月ブログ 安芸キャンプ) ↓
 7日、高知県安芸市でのPTA講演会が夜の7時開始だったのですが、午後2時半頃には安芸に到着しました。なぜそんなに早いの?安芸といえば・・・・そうです、阪神タイガースのキャンプ地です。1軍は沖縄(19日から安芸合流)ですが、2軍がキャンプ中です。生まれて初めてのキャンプ見学です。
 2軍キャンプは、名前も知らない選手がほとんどだし、見に来ている人も20名ぐらいでした。でもその分、近くで練習を見ることができました。新人の高浜選手(横浜高校出身)が、平田2軍監督のそばで守備の特訓をしていました。田中秀太選手がお手本を見せながら、筒井コーチの声もはっきり聞こえます。 「上体で投げたらあかん、秀太のように膝を使うんや!」 「肩が開くとダメや!」 「一歩目はこう出すんや!」 ・・・・・・・・・・・・
「がんばれ若虎!」 思わず小さな声を出してしまいました。
 それにしても安芸市営球場から見える太平洋は、本当にきれいでした。
 
 
 
高浜選手のロッテ移籍は本当に残念です。
でも、高浜選手にとれば、これはすばらいしチャンスでもあります。
阪神には、ショートには鳥谷選手もいるので、出場機会はそんなにないはずです。
でもロッテにいけば、ショートはアメリカに行った西岡選手のあとが空いているし、
3塁の今江選手がけがをしています。これは大きなチャンスです。
高浜選手の大活躍を祈るばかりです。
 
高浜選手の移籍決定後のインタビューです。
「何も考えていなかったので、びっくりして言葉が出ませんでした。
タイガースに獲ってもらったのに、3年間けがで何一つできなかったので、今年は
やるぞという気持ちだったので申し訳ない気持ちです。ロッテで頑張ってFAを取って、
阪神に戻ってこいと言われるような選手になりたいです」
 
頑張れ高浜! 
そしてまた戻ってこいよ。

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Posted by naka602 at 13:26 | TrackBack (0)