fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 10日は石川県加賀市、11日は鳥取県倉吉市に行ってきました。 加賀からの依頼は半年以上前のことです。担当の橋本昌子さんからはそれ以後何度もお手紙をいただきました。2月に入ってからは 「もうすぐですね。いよいよです」 とはがきが届きました。そして当日加賀市民会館でお会いし、「とうとうこの日がやってきました。ずっとお待ちしておりました」 と笑顔で迎えて下さった橋本さん。感激の出会いでした。 翌11日は鳥取県倉吉市。なぜ倉吉が決まったのか、それは12月にあった鳥取県PTA連合会の講演の担当者だった大津昌克さんが倉吉市に推薦してくださったおかげなのです。カリスマ美容師(ご自身は「刈りすぎ美容師だよ」と冗談を言われます)の大津さんが12月の講演がよかったので、ぜひ倉吉でもと強く推薦してくださったようです。倉吉未来中心ホールに着くと玄関先で一番に迎えて下さいました。2ヶ月ぶりの再会に心が躍りました。 ところで、この日倉吉駅に迎えにきてくださった福光さん、何気なく付いていったのですが、物腰も柔らかくとっても感じのいい方でした。そして会場に着いてからの名刺交換で私はびっくりしてしまいました。なんと福光さんは、教育長さんだったのです。でもびっくりしたと同時に感激してしまいました。 (感じは大路亨先生とそっくりでした) 私はかつてこんな文を書いたことがあります。 私を待つ人がいる 「私を待つ人がいる」これは、95年12月にあった「人権を考える市民の集い」での 高石ともや氏の講演の題です。それ以来「私を待つ人」ということにこだわりを持ち 続けています。 彼は「人間が生きていけるのは、待っている人がいるからだ」と言い、待っている 人がいないと、人間は生きる意欲を失うというのです。 家には、私を待つ母がいる。教室には、私を待つ友達がいる。学校には、私を待つ 先生がいる。あの角の向こうには、私を待つ恋人がいる。電話の向こうには、私の声 を待つ大切な人がいる。遠くの田舎には、私の成長を喜ぶおばあちゃんがいる。こん なふうに、自分を待ってくれる人がいれば「人間は大丈夫だ」というのです。 彼は、こんなことも言いました。「人間は、友達が二人いれば幸せに生きられる」 とってもつらくて死にたいと思った時、それを聞いてくれ「たいへんだったね」と一 声かけてくれる友達がいれば、その重荷がスーと消えていくのです。また、うれしい 時に「うれしい」と話せ、「よかったな」と一声かけてくれる友達がいれば、心が和み 希望に胸がふくらむのです。こんなふうに、一緒に悲しみ、一緒に喜び、自分を待っ てくれる人がいれば、大丈夫なのです。幸せに生きていけるのです。と、彼は言うの です。 平木の子どもたちは、どうでしょう。あの子には、待つ人がいるのでしょうか。こ の子を待つ人は誰なのでしょうか。あの子は今何に喜び、何に悲しんでいるのでしょ うか。あの子の輝く目が見たい。この子の躍動する姿を見たい。 私たちは、あの子たちに、できるだけ多くの友達をつくってほしいし、そういう仲 間と喜び合える学級づくり、人間づくりをしなければと思っています。平木の子ども たちの幸せを心から願っているのです。 高石ともや氏は、最後に笑顔で次のことを話され、去って行かれました。 「幸せになるために、私たちは生まれてきたんですよ」 (仲島正教 1995.12 平木小学校 職員通信「伝書鳩」より)
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