fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 今日は兵庫県北部にある豊岡市出石(いずし)町での講演でした。 出石は私が生まれた町です。でも出石に住んでいたのは生後1年ほどですぐに大阪に移りました。出石生まれの大阪育ちの私です。でも出石には思い出がいっぱいです。子どもの頃は、夏休みは必ず2週間ほど出石のおばあちゃんの家で過ごしていました。出石に行くと近所の子が待っていてくれ、都会育ちの私を毎日近くの川や山に遊びに連れていってくれました。ホント楽しかったなあ、出石の夏休みは・・・・。2週間が終わり大阪に帰る日はさびしくていつも泣きそうになっていました。 今回の講演会は、町の有線放送で「出石生まれの講師」ということで広報されていたそうです。講演前に入った「出石そば」のお店のマスターが「あとで講演会行きますよ」と言って下さりびっくりしました。講演会の始まりは主催者の方(元小学校長)の挨拶ですが、その方が挨拶の最後に 「今日の講師の方は私の小学校5,6年を担任していただいた恩師の息子さんです」 と話され、またまたびっくり! そして、そのあとに「こころの詩」の朗読があったのですが、その朗読をした地元の小学校の教頭先生から 「材木町のまさのりちゃんですよね」 と声をかけられ、またまたびっくり! 「えっ、たっちゃん? あっ、ホンマたっちゃんや!」 子どもの頃、一緒に遊んでくれた「なかやのたっちゃん」です。あー40年ぶりの感動の再会でした。 実は今回の講演会の企画をしてくれたのは、私のいとこの賢君でした。賢君と私は一回り違い、賢君が生まれた時、私は小学校6年生。彼を「高い高い」したり、おしめを替えたりした間柄で、その後私が中学生になってからは、クラブもあり出石に行かなくなったので、賢君との関係はたまに親戚行事で会うぐらい疎遠になっていました。 その賢君が大人になり、役場に入り、そしてこの度人権の部署に異動し 「そうだ、まさのり兄ちゃん」 を呼ぼうということになったようです。 「あのまさのりちゃんが出石に戻ってくる」 私の講演を親戚一同楽しみに待っていてくれました。特に私に野球をいつも教えてくれた信夫おじさんは、とっても楽しみに待っていてくれたそうです。なのになのに、その信夫おじさんが、講演の2日前、突然亡くなりました。講演の日の午前中、信夫さんの告別式がありました。そして午後講演会でした。 そんないろいろ思いが詰まった講演会になりました。 最後の 「あーよかった♪」 の歌の場面では、会場から手拍子が湧き始め、終了と同時に大きな拍手に包まれました。そんな様子に、感極まって言葉が出なくなってしまいました。 「あーよかったな 出石に来られて・・・・・」 ・・・・すごく、すごく、心に残る一日となりました。 信夫おじさん、ゆっくりお休み下さい。
fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text_more
|