fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 今年の3月に79歳で亡くなった父は、元小学校教師で市教委同和教育部に入りました。私も元小学校教師で市教委人権教育室(同和教育部が改称)に入りました。父がそうしろとも言わないし、私がそうしたいとも思わなかったのに、そうなったのは運命のいたずらなのでしょうか。 私が新任の頃、父はまだ現役で西宮で働いていました。これがまたやりにくいのです。家では教育のことや学校の事はほとんど話しませんでした。というか少し反抗的な態度もとっていました。 父と教育のことを話したのは7.8年後、父が退職してからです。その時初めて、父がどんな教師だったのか、どんなことをしてきたのかを知るのです。びっくりしたことがいくつもありました。それは自分と同じような事を父も若い頃やっていたことや考えていることがほとんど同じだったのです。全然話をしたこともなかったのに、同じことがいくつもあったのです。親子の血は争えないというか・・・・本当に驚いてしまいました。 前置きが長くなってしまいました。 昨日、ある方から喪中ハガキを頂きました。この方は私が市教委時代につながりのあったPTAの役員さんです。そのハガキにこう書いてありました。
「私たち姉妹が転校してきた春休みに、自宅まで担任の挨拶に来て下さった仲島先生(お父様)のお姿や笑顔は今でも鮮明に覚えています。母は今、天国でお礼を申しあげていると思います」 そうやったんや、父はそんな家庭訪問をしていたんや・・・・・。 なんか感動していましました。 実は、私も転校生には、「大丈夫ですよ」って事前に家庭訪問に行っていたのです。 そして今、元気塾でそんな家庭訪問を若い先生方に伝えているのです。
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