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2010年9月15日
あゆみ(通知表)の所見の書き方
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昨日、尼崎市の戸ノ内保育所の職員研修に行ってきました。
その玄関で、2つの詩を見つけました。
一つは、沖縄県与那原東(よなばるひがし)小学校の子どもの詩です。
     (私、与那原東小のTシャツを持っています。1年前に与那原町で買いました)
一つは、東井義雄先生の詩です。
     (やっぱり東井先生はいいです)
そんな2つの詩に感動しながら、研修室に入りました。
 
 
話は変わります。
ずいぶん前の話です。
私が、H小学校に勤めていた時、先輩から
「○○のお父さんは、お酒に酔うと学校に文句を言いにくることがあるよ」
と聞かされていました。
 
学期末のある日の夜9時頃です。数人の先生と一緒に学校から帰ろうとした時、
そのお父さんがやって来ました。あきらかに酔っていました。
「おい、センコウ! もう帰るのか。何してたんや。『あゆみ』をつけてたんか。
言うとくけどな 『あゆみ』 はいらんぞ! どうせ、1と2ばっかりや。そんなものは
いらんのじゃ!」
と大声で叫ぶのです。
そのお父さんを先輩の先生がなだめ、その場は終わったのですが、
私は変な意味で感動しました。 「ホンマに酔うて学校に来るんや」 って。
 
でもそのあと、お父さんの言葉が何度も何度も頭に出てきます。
「『あゆみ』なんかいらん! どうせ1と2ばっかりや」
酔わずには言えない、そんな悲痛な叫びがよみがえってくるのです。
 
私たち教師の子どもの頃の成績は、ある程度の成績はとっていたと思います。
だいたいの人は、『あゆみ』を楽しみにしていたのだろうと思います。
だからこそ私たち教師は、もしかするとこのお父さんの叫びを心に留めずにここまで
やってきたのかもわかりません。
その時、私は決めたのです。
「1や2の子どもや親にも、『あゆみ』を楽しみにしてもらいたい、
そんな『あゆみ』をつくらないといけない」
 
そして翌年、私はH小学校に 「あゆみ(通知表)検討委員会」 を立ち上げ、
H小学校の『あゆみ』の改造にとりかかったのです。
 
その時に一番参考にしたのが、
東井義雄校長が著した 「通信簿の改造〜八鹿小学校〜)」(明治図書)
でした。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どの子にも、あらゆる教科、あらゆる教育活動の中で
このような生きがいを育ててやるのが「教育」という仕事であったはずだ。
それだのに、
できない子をできるようにする努力もしないで、
自信を失っている子どもに自信を育てる努力もしないで、
テスト結果だけを集計して
「おまえは『1』だ」
「おまえは『2』だ」
「おまえは『C』だ」 と
子どもを枠づけし、自信を奪い、希望を奪い、子どもの生きがいをさえも
奪ってしまうようなことを私たちはやってはいないだろうか。
学校でそのような残酷な仕打ちをするだけではまだ足らず
テスト結果の枠ぎめを、家庭にまで届けて二重の残酷を
私たちはやっているのではないか。
「通信簿」
これがギロチンの役目を果たしてはいないか。
子どもの希望の根を断つ「首切り斧」になってはいないか。
私たちは、こんな反省から
私たちの仕事の筋を正す手はじめに
「通信簿の改造」の仕事に取り組んできた。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・(「通信簿の改造 はしがき」 より抜粋) 

 
私がH小学校で 「あゆみ(通知表)検討委員会」 を立ち上げたのが
1992年(平成4年)でしたが、
八鹿小学校の「通信簿の改造」が著されたのは
1967年(昭和42年)のことです。
今から43年も前のことです。
でも、今読んでも十分通用する内容というか
今こそもう一度読み返さないといけない内容だと思うのです。
 
そんな東井先生の考え方の一端を
18日の元気塾では、話したいなあと思っています。
 
18日の元気塾のテーマは
「親子で元気になる個人懇談会の持ち方、通知表の所見の書き方」 です。
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:04 | TrackBack (0)
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