fjrigjwwe9r2mt_entry:entry_text 西宮の高校生が、こんな文を新聞に寄せていました。 【おばあちゃんとの時間】 小学校低学年の時、親が共働きだったので、学童保育に通っていた。 そこで過ごせるのは午後5時まで。 親が帰ってくるまで2時間ほど、家で一人だった。 寂しいので、家の前で親の帰りを待っていた。 ある日、私の家の裏側に住んでいた「裏のおばあちゃん」が家にあげてくれた。 おかきをほおばりながら、学校での出来事を話した。 おばあちゃんは耳を傾けてくれた。 以来、毎日のようにおばあちゃんの家に行った。 親の帰りを待つ時間は寂しい時間から、楽しい時間に変わった。 でも、高学年になると、友達と遊ぶのが忙しくなって、足は遠のいた。 あれから10年。 おばあちゃんを見かけても、声をかけることもなくすれ違う日々を送っていた。 でも、そんな自分が嫌で先日、勇気を出し、「お元気ですか」と声をかけた。 「あら、修斗君、久しぶり」。 おばあちゃんは私を覚えてくれていた。 しかも名前まで。 数分の立ち話が終わり、その場を離れた時、自分でもよくわからなかったけど、涙があふれた。 思い切って声をかけてよかった。 今度会った時、ちゃんと伝えよう。 「おばあちゃん、ありがとう!」 (西宮市 高校3年 小寺修斗) 〜朝日新聞7月16日「男のひといき」〜
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