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2020年1月17日 |
25年目の朝 |
あれから25年の月日が経ちました。三宮の慰霊式での遺族(上野さん)の挨拶に号泣してしまいました。涙というのは枯れないものです。 「1.17」 何年経っても辛いですやっぱり。 1995年の10月頃だったと思います。 8月末に学校に併設されていた避難所も解消し、やっと通常の学校風景に なったころでした。一人のおばあちゃんが学校を訪ねてきました。 校長室に来て、「赤い服を着た先生に会いたい」と。 「避難所にいる時、赤い服を着た先生にお世話になりました。おんぶもして もらって髪を切りに行きました。一言お礼が言いたくて」 赤い服を着た先生? 校長先生は職員室にいた先生たちに尋ねます。 「あっ、仲島先生ちゃうか? ずっと赤い服を着てたもんな」 そうなんです。私はずっと赤いつなぎのスキーウエアを着て避難所の 仕事をしていました。全身赤だったので目立っていたのでしょう(笑) ということで私が呼び出され、そのおばあちゃんと再会しました。 私はよく覚えていませんでしたが、おんぶしたことはありました。 そうかあ、あの時のおばあちゃんだったんだなと記憶が少し戻ると ともに、ワザワザ来てくださったんだと感動したのです。 あれから25年です。 あのおばあちゃんはどうされているでしょうね。 1995年1月17日5時46分。 黙とう。 |
Posted by naka602 at 06:01
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