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2016年8月29日
千葉・沖縄遠征
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千葉・沖縄遠征(23日〜28日5泊6日)から無事に帰ってきました。千葉県館山市に行く前日に台風9号がナント館山市に上陸したところでした。台風一過で講演会は無事実施出来ました。
その頃、迷走中の台風10号は沖縄方面にいたので、沖縄の週間天気予報は「晴れマークはなし」でした。ところが私が館山市⇒羽田空港⇒那覇空港へ向かっている頃から台風10号は向きを変え、再び本州方面へ向きを変えたのです。
ということで私の沖縄滞在中はずっと晴れでした。
私はやはり「晴れ男」のようです(笑)


千葉県館山市での講演会は、2年前に続いて2回目ですが
2年前は150人規模だったのが、今回は650人規模に増えました。
2年前に聞いて下さった先生方が「もっと多くの先生に」ということで
アンコール講演になったのです。
前回も懇親会がありましたが、今回も懇親会付きです。
千葉の先生方ともすっかり仲よしになりました。
タイガースファンの三浦先生は年に一度は甲子園に来られるようなので
次回は甲子園で会おうと固い約束をしました(笑)


羽田空港から那覇空港に着くと、那覇市の神谷さんが迎えに来てくれて
いました。「仲島先生、おかえりなさい」って。
以前は「仲島先生、めんそーれ」だっだのが、今は「おかえりなさい」です。
私はもう半分はウチナンチュ(沖縄人)です。今年4回目の沖縄ですからね。
それにしても「お迎えの人」がいるって、ホント嬉しいものです。
神谷さん、いつも本当にありがとうございます。

その晩は、翌日の「与那原町5年目以下教員研修会」の打合せということで
那覇市の有名なおでん屋「ふるさと」で、岡学校教育課長と砂川指導主事と
一杯やりました。(一応、事前打合せ(笑))
翌日の研修会の後は、事後反省会ということで、若い先生方と飲み会です。
あ〜飲んでばかりや〜(笑)

その翌日には、私の妻が神戸空港から那覇空港にやってきて合流です。
(自分だけでなく、家族サービスもしないといけません(笑))
昼食は、岡ファミリーと神谷夫婦と仲島夫婦の計9人で賑やかに沖縄そばを
食べました。もう楽し過ぎです。

その日の夜は、沖縄滞在で初めて伊計島に泊まりました。
沖縄本島と伊計島は「海中道路」でつながっていますが、賑やかな本島から
だいぶん離れているので、とても静かな所です。昔ながらの民家の中にある
小さなホテルに泊まりました。
夜になって、本当に本当にびっくりするくらいの星が見えたのです。
天の川がはっきり見えます。織姫と彦星を含む夏の大三角にも感動です。
こんなにも星が多いなんて・・・沖縄で見た夜空でも最高の星の数です。
ホテルの部屋には天窓があるのですが、そこからも星が見えるのですよ。
もう最高〜〜。

翌日は伊計島の隣りの宮城島に行きましたが、
実は沖縄へ行く数日前に、有川浩「アンマーとぼくら」を読んできたので
その中に出てくる「果報バンタ」「龍神風道」「三天御座」を見に行きました。
その後は、浜比嘉島へ「東の御嶽」を見に行ったのですが、その近くのビーチ
の美しいこと、美しいこと。ここにもこんなに素敵な景色があったのです。
海中道路でつながっている「平安座島」「浜比嘉島」「宮城島」「伊計島」は
スゴイです。みなさん、ぜひここにも行ってくださいね。

夜は国際通りのライブハウスで「島唄ライブ」ではなく「フォークライブ」に
行ってきました。祝嶺先生に連れていってもらい、私はハマりました(笑)
3回目の「かくやひもライブ」に大笑いと感動の3時間でした。


5泊6日の千葉・沖縄遠征で、一応仕事も2本してきましたが、
このブログを読む限り、ずっと遊んでいるみたいですね。
ホンマ楽しい時間を過ごさせてもらっている私はホント幸せ者です。


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Posted by naka602 at 21:42 | TrackBack (0)


2016年8月23日
リオ五輪400mリレー
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リオ五輪も閉幕しました。今回も感動のシーンがたくさんあり寝不足にもなりましたが、やっぱりオリンピックはいいものですね。

その中でも「400mリレー」の銀メダルには驚きました。
あのアメリカを破っての堂々の2位です。
日本チームの4人は、一人も9秒台はいないのです。そんな4人が
心と力を合わせて銀メダルをとったのです。
あのボルトも日本チームを称賛していました。

日本の4人の100m走の合計タイムは、40秒57(一人平均10秒14)
それが今回の決勝では、37秒60(一人平均9秒40)
なんとチームで2秒97も縮めているのです。
この2秒97はバトンパスの力です。
これがリレーの醍醐味、リレーのいい所です。
だからリレーは面白いのです。

これはオリンピックに限ったことではありません。
学校のリレーでも同じことが起こります。
遅いチームでもバトンパスを練習することによって
速いチームにも勝つことができるのです。
みんなの心と力を合わすことによって、チームの感動が生まれます。

4年生の子どもが言いました。
「バトンは心の通じるぼう」

子どもたちはバトンパスを通して心と心をつなぎ、支え合う仲間になって
いくのです。それは体育だけにとどまりません。算数でも同じように支え合い
ながら学力を伸ばしていきます。そして学級づくりにもつながっていくのです。
リレーの学習の教育的価値は、計り知れないのです。

今、発売中の「体育科教育9月号」の巻末エッセイは
「春に運動会実施の先生方へ」というテーマで、私は挑発的な内容を書きまし
たが、リオ五輪のリレーを観て「やっぱりそうだ」と確信しました。

学級づくりや人権教育、道徳教育が大事というならば
「リレーの学習」の授業づくりもしっかりやってもらいたいものです。
春の運動会で、いい加減なバトンパスをしている学校の先生たちには、特に
そう言いたいのです。




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Posted by naka602 at 06:55 | TrackBack (0)


2016年8月16日
私の甲子園の夏
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夏の甲子園3回戦、嘉手納高校vs明徳義塾に行ってきました。第一試合で午前8時開始にもかかわらず、甲子園はほぼ満員でした。
私は7時半に家を出て自転車でやってきましたが、ほとんどの人は早朝から出かけてこられたのでしょうし、沖縄からの応援団は昨日から来ておられるのでしょう。みんな凄いです。

そんな大観衆の中で嘉手納高校は頑張りました。
強豪明徳義塾に、途中までは「いける雰囲気」でしたからね。
結局は力負けというか、さすが野球名門校で大差がつきました。
それでも嘉手納も7、8回には猛反撃で5点返しましたからね。
8回のアルプス席は「ハイサイおじさん」の応援歌で大盛り上がりでした。
嘉手納もホンマ立派に戦いました。
終了後の挨拶では大きな大きな拍手が選手たちに送られていました。


これで「私の甲子園の夏」は終わりました。
今回は市尼崎と嘉手納と、超ひいきチームが2校出たので私も燃えました。
開会式、市尼1回戦、嘉手納2回戦、嘉手納3回戦と、4回甲子園に足を
運びました。私の仕事と重なることもなく、すべて見ることができたので
本当によかったです。
甲子園はめちゃめちゃ暑くて、私は真っ黒になりましたが、
選手たちもめちゃくちゃ熱くて、その熱いプレーに涙がいっぱい出ました。
ホント汗と涙と感動の甲子園の夏でした。

私は今日まではお盆休みで、明日から8月の後半の仕事がスタートします。
嘉手納が勝ち続けていたら応援にはいけませんでした。
なのでちょうどピッタリでした(でも嘉手納には勝ってほしかったです)

明日は神戸市の人権教育大会です。
「仲島は、なんでそんなに黒いねん」と言われそうです(笑)

嘉手納の選手のみなさん、
堂々と沖縄へ帰ってくださいね。
本当にお疲れ様でした。


私も、あとで沖縄へ行きますね(笑)
8/25沖縄県与那原町教員研修(5年目以下)に行くために
8/24〜8/28まで沖縄滞在です。
1日の研修なのに4泊5日は長過ぎかな(笑)


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Posted by naka602 at 14:38 | TrackBack (0)


2016年8月14日
タイガースブレザー生みの親
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もう10年以上前になります。まだ私が西宮市教委にいた頃に、新聞の片隅に面白い記事をみつけました。「ブレザーの裏地はタイガース模様」そんな見出しの記事でした。
「これは面白そう!」そこから私のタイガースブレザーは始まりました。

タイガースブレザーを作った「(株)ヤングブラッド」の初代社長はナント
西宮の人でした。清水利彦社長は、気さくな方で私も西宮在住と知ると、一度
お会いしましょうということで、ブレザーの注文後にお出会いすることになり
ました。
清水さんは大手会社を辞め、起業家として頑張っておられる方で「起業の講演」
もされていました。ちょうど私もその頃辞める準備をしていたので、清水さんの
お話をとても興味深く聞いていたのですが、
「仲島さんも講演をするなら、いい会社を紹介してあげよう」と
その後お世話になる「(株)システムブレーン」に連れていってもらったのです。

私が辞めて今こうして生活出来ているのも「(株)システムブレーン」の支えが
なければ、出来ていませんでしたので、あの時清水さんに出会っていなければ、
今の私はなかったことになります。

清水さんは、その後、また新しい仕事に挑戦するために「ヤングブラッド」の
社長を退き、若い中村社長に任せて、東京へ単身赴任をするのです。
そんなどこまでもチャレンジする清水さんでしたが、62歳になり、そろそろ
西宮に戻ってきますとおっしゃっていました。


そして今日、お盆で帰省中の清水さんから
西宮の香櫨園の自宅に招待され、奥様の手料理をごちそうになりました。
久しぶりの再会に積もる話もたくさんあり、あっという間の3時間でした。

清水さんとはアメリカンフットボールの話でも盛り上がりました。
清水さんは慶応アメリカン、私は関学アメリカンファンで当時の選手は二人とも
よく知っているのです。当時関学のエースWRの志浦選手と清水さんはナント
大親友だったこともわかり、ビックリしてしまいました。またQBの芝川選手の
ことは奥様もよく知っており、香櫨園に親戚がおられるようです。また奥様が
中心となって実施されたイベントを後援していた社長は、ナント私の娘の友だち
のお父さんだったのです。ほんまビックリの連続でした。


すごい縁とつながりを感じながら、清水さんに出会えたことに本当に感謝の
気持ちでいっぱいになりました。
もうすぐ東京から西宮に戻って来られます。
「仲島先生、これかも飲み友達でよろしくお願いしますね」の言葉が
本当に嬉しくて嬉しくて・・・・・。
これからもこのご縁も大切にしていきたいと思いながら、
夜空がきれいな香櫨園浜を自転車でゆっくりと走りながら帰りました。



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Posted by naka602 at 09:17 | TrackBack (0)


2016年8月13日
92歳の誕生日
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大正13年8月13日生まれの母です。今日で92歳になりました。午後に病院に行くと姉と姉の娘夫婦(長女、次女)が来ており、私の家族を合わせて8人が病室でワイワイガヤガヤと母の誕生日を祝いました。

ところが、
私が「93歳おめでとう!」と言うと
姉は「92歳やで」と言い直すので
「えっ93歳やん」
「違う違う、大正13年は1924年だから、今年で92歳やで」
「あっそうか、間違ってたんや・・・・」

ナント私は93歳と勘違いしていたのです(笑)
とんでもない息子や!とツッコミが入りそうですね。

間違い出したのは、いつ頃からでしょうか?
昨年の8月13日のブログには「母が91歳になりました」
ってちゃんと書いていますので、昨年は合っていたのです(笑)
でも、ここのところの講演会では「母はもうすぐ93歳になります」
って私は確かに言っていました。(なんでやろ?)
そして病院に行った時に母にも「今度で93歳やで」って私が言うので、
母もおかしいなと思いつつ、今度で93歳だと思っていたようです。
今日、姉の指摘で、母も「やっぱり92歳だった」とわかったようです(笑)

お母さん、ごめんなさい。
母の歳を間違うなんて、とんでもない息子です。
でもよかったです。だって1歳若くなったのですから(笑)

お母さん、
いつまでも元気で長生きしてくださいね。


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Posted by naka602 at 22:41 | TrackBack (0)


2016年8月11日
嘉手納の夏に興奮
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今日の高校野球は、沖縄県立嘉手納高校です。嘉手納高校には過去2回講演に行っていますので、思い入れは格別です。でも私は朝は茨城県土浦市にいました。当初の予定で西宮へ帰ると、試合(14:30開始)には間に合わないので、早めに土浦市を出発しました。東京からの新幹線は指定席はお盆ラッシュで取れなかったので、自由席で帰りましたが、これまた満員で、初めて東京から新大阪まで立って帰ってきました。

自宅に帰ってきたのは15時過ぎ、もう試合が始まっていました。
相手は、3年前の全国優勝の前橋育英高校。強豪ですが嘉手納が1点先制、
ヨシッ!と思ったのもつかの間、3対1とリードされていました。
正直あかんかな、と思いながら、自宅から自転車で甲子園に向かいました。

甲子園に着いたのは15時30分。6回裏前橋育英の攻撃の最中でした。
嘉手納高校の1塁アルプスのすぐ横のライト外野席に座りました。
私は「KADENA」というTシャツを着ていたので、近くの人からも
「カデナや」って声をかけてもらいました。よくみるとここにも
沖縄関係の人がいっぱいいました。
前橋育英の打者がヒットを打ち、あ〜ぁ、と思いましたが、次打者を
ダブルプレーで押さえました。
「ヨシッ、これでラッキーセブンへ」の大声援に。

そしてそして7回表の嘉手納の怒涛の攻撃が始まりました。
1点入れて1点差。
2点入れて逆転。
1点入れて2点差リード。
3点入れて5点差リード。
1点入れて6点差リード。
ナントこの回8点も入れたのです。9対3になりました。
もう大騒ぎです。ハイサイおじさんの演奏も大盛り上がり。
指笛もピーピー鳴ります。私も周りの知らない人とハイタッチ。
カチャーシー踊る人もいました。

沖縄にいる神谷さん(嘉手納高校卒業)は、応援ツアーの抽選にもれ
沖縄でパブリックビューイングで応援中、
岡さん(嘉手納高校の監督と同級生)は、家のテレビで応援中。

沖縄の2人と甲子園の私は、メール仲間で同時交信しながら
一緒に応援していました。


私は6回裏からの参戦でしたが、もうめちゃくちゃ興奮しました。
声も枯れました(笑)
強豪の前橋育英にナント10対3の快勝です。
正直信じられない勝利です。(監督、選手ごめんなさい)

次の試合は16日です。
この日は仕事はないので1回から応援に行きます。



※私が甲子園に行ったとたんに8点入りましたので
「私が勝利を運んだんや」と思っています(笑)
今日の勝利の女神は私です(笑)

茨城から早く帰ってきてよかった。
新幹線、立った甲斐がありました。
よかったよかった。






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Posted by naka602 at 21:15 | TrackBack (0)


2016年8月9日
夏の甲子園に感動
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夏の甲子園はやっぱり感動します。あの高校生の一生懸命な姿に涙が出ます。甲子園はええなあ、高校野球はええなあって改めて感じています。

開会式をテレビで見ても感動しますが、甲子園球場でのライブはそれ以上です。
「沖縄県代表 嘉手納高校」というアナウンスで、一番に入場してきた瞬間に、
甲子園の4万人の拍手が湧くのです。その拍手の大きな波動に思わず鳥肌が立つ
のは私だけではないでしょう。
「兵庫県代表 市立尼崎高校」で入場してくる市尼の選手たち。大きく手を振り、
足を高く上げるとスクールカラーの緋色のストッキングが鮮やかに光ってました。
素晴らしい選手宣誓をした市尼の前田主将は、私の家から数百mの瓦木中出身です。
今年の夏の甲子園は熱いです。

今日は開会式に続いて試合観戦です。
市尼崎vs八戸学院光星
さすが地元中の地元の市尼です。朝8時からの試合というのに7時半には
一塁アルプス席は超満員です。アルプス席に入れない市尼ファンは、一塁内野
ライト外野にまわります。すごい盛り上がりでした。
私はアルプス席の真ん中あたりで、近くには市長、教育長もおられ、上には
俳優の渡辺謙・南果歩(市尼卒業)も来ておられました。

市尼は兵庫県予選ではシード校(16校)にも入れない普通のチームでしたが
チームワークで160校以上の激戦区の予選を勝ち抜いてきました。
対する八戸学院光星は、全国準優勝もした強豪校で選手も全国から集まって
くる野球エリート校です。前評判は圧倒的に光星高校でした。

その強豪光星に、あと1歩のところまでいきましたが延長戦で力尽きました。
1点差負けでしたが、大健闘です。負けたのは悔しいですが、市尼の選手たち
の頑張りにアルプス席からも大きな拍手が湧きました。


2日間ですっかり日焼けしてしまった私ですが、
夏の甲子園は、ホンマ感動しますわ。


※ちなみに「熱闘甲子園」で私の応援風景が少し映ってました(笑)


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Posted by naka602 at 23:35 | TrackBack (0)


2016年8月6日
チャリティー講演会
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仲島正教チャリティー講演会(国際エンゼル協会主催・伊丹市後援)が8月3日に「いたみホール」で行われましたが、エンゼル協会関係の方や私の知り合いの方だけではなく、新聞(毎日、読売)を見て来てくださった方、ポスターを見て来てくださった方もたくさんおられ、会場は満員(150名)になりました。参加のみなさん、本当にありがとうございました。そしてバングラデシュ教育支援の募金もありがとうございました。


講演前に入口付近に立っていると、ある老紳士から話しかけられました。
「なかじまくん、お久しぶり。 田中洋慈です」
「たなかようじ???・・・えっ、田中先生ですか?」
「はい、田中です」
「田中センセーーーーー!」

田中洋慈先生78歳、大阪市立出来島小学校2年3組の私の担任の先生です。
小学校卒業以来ですからナント48年ぶりの再会です。
朝、読売新聞に載っていた講演会のお知らせの小さな記事を見て、わざわざ
駆け付けて下さったのです。
もう感動というかそれを通りこした感情になり、講演前に私は落ち着きを
なくしてしまいました。


私の学校生活の中で唯一暗かったのは小学校1年生の時です。
というかあまり覚えていないのです。
担任の先生からは「この子は大丈夫か」って思われるくらい暗かったよう
ですし、懇談会では、ずいぶんキツイことも言われていたようです。
母親も「あの先生は好きになれない」って愚痴をこぼしていたようです。

そんな私が2年生になって劇的に変わるのです。
とっても元気になるのです。
体育では才能を開花するのです。走るのはもちろん、何でもできるのです。
小学校では最高段の跳び箱8段も、小2の私がピョンと飛び越えました。
通知表は5段階評価の「5」
このとき以来ずっと「5」が私の体育の成績です。
(小1の時は「3」・・・なんで(笑))
大学で体育科に進学するのも、この小2の時が原点になっています。
そんな私の体育の素質を見つけ出し、伸ばしてくださったのが田中洋慈先生
でした。

その田中先生が48年ぶりに会いに来てくださったのです。
もう感動、感激、感謝の一言です。

私の講演中、ニコニコしながらうなずき、そしてメモを取っておられるのです。
恥ずかしいやら嬉しいやら・・・。
そして講演終了後、会場のみなさんに
「私の小学校2年生の時の担任の田中先生です」
って紹介させていただきました。
小学校の時はもっと大きな先生と思っていましたが、私より背も低く、案外
小さいのです(笑)今は78歳の素敵なおじいちゃんです。


ありがとうございます、田中先生。
78歳の先生と60歳になった教え子の感動の再会でした。
本当にありがとうございました。

田中先生、
これまでの私の不義理をどうかお許しください。
そして
いつまでもお元気でいてください。



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Posted by naka602 at 09:25 | TrackBack (0)