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2019年1月27日
智恵ちゃんの講演会
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1月25日に、米光智恵さんの講演会に行ってきました。「心の痛み 分けあって」というテーマで70分のお話でしたが、もうめちゃくちゃ感動して最後は号泣してしまいました。ここ10年でナンバー1の講演会でした。

私にとっては、智恵さんではなく智恵ちゃんです(笑)
私が平木小にいた時の3年生のかわいい女の子でした。
担任ではありませんでしたが、私の地区担当(青木町)でお母さんは
地区委員で1年生にも妹がいました。
その時に阪神淡路大震災が起きました。自宅は全壊、避難所生活が
続きました。3年後、西宮浜の復興住宅に入居しました。
震災で出来た西宮浜小に転校しましたが、その時、私が智恵ちゃんの
妹の担任になりました。智恵ちゃんは中1でした。
それから10数年後、智恵ちゃんは平木小の図工の先生になり、
研究授業をしました。その指導助言が私でした。
担任した妹より会う機会が増えました。
すっかり智恵ちゃんも私の教え子になりました(笑)


講演会の4か月前に智恵ちゃんから相談がありました。
講演でどう話したらいいかの相談でした。
私は先輩面して、こうしたらいいよと偉そうな助言をしたのです。
だから当日も講演が終わったら、次はこうしたらいいよとアドバイスを
しようと、またまた先輩面して講演を迎えました。

それはとんでもない間違いでした。
それはそれは素晴らしい講演で、正直びっくりしました。
なんでこんなにうまいんやって。

講演内容 100点
構成   100点
資料と掲示100点
話し方  100点
が私の採点です。これは教え子だからの甘い採点ではありません。
ホンマにそうなのです。

「心の痛み 分けあって」の内容は4つの柱でした
・阪神淡路大震災のこと
・発達障害の我が子のこと
・生き別れた父のこと
・震災の心を癒してくれたセルビアの人たちのこと


智恵ちゃんの講演は
多くの人に聴いてほしい話です。
一般向け、PTA向け、教師向け、地域向け、子ども向け
ぜひぜひ聴いてほしいです。
もし講師を探している方がいれば一番のお薦めです!

毎年1.17には、
智恵ちゃんと瞳ちゃん(瞳ちゃんも教え子)が学校を訪れ、
子どもたちに紙芝居と写真を使った話をしてくれています。
これもとってもいいですよ。子どもたちの心に響きます。
これもめちゃお薦めです。



※最後にお知らせです。
そんな智恵ちゃんと私の共同作品が、この春に出来上がります。
西宮市の人権冊子No.20 「優しさというビタミン愛 W」
文・仲島正教 画・米光智恵 

4月以降に市役所、公民館等で無料配布です。
どうぞお楽しみに。
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Posted by naka602 at 20:49 | TrackBack (0)


2019年1月18日
あの日は忘れられない その2
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阪神淡路大震災その2です。その1は朝に更新しましたが、午後からこんな連絡が入りました。「神戸新聞に載ってますよ」って。

「神戸新聞NEXT」と検索して、
阪神淡路大震災関連の記事の中に
「高校の講演会で偶然知った 震災死した祖父の功績」
という表題がありますので、読んでみてください。

ここに詳しい説明は書きにくいのですが、
昨年11月に、西宮北高校での私の講演から、
一つの縁が紐解かれていくという記事なのです。

幸田修一校長⇒(同じ学校)⇒仲島⇒(講演)⇒幸田校長のお孫さん

ぜひ神戸新聞NEXTを読んでみてください。
※神戸新聞1月17日夕刊に掲載

記事には書いてありませんが、
実はこんな流れがその前にあります。

上司・仲島父⇒(同和教育部)⇒部下・幸田修一

私が大学生の頃、私の父と幸田先生は西宮市教委同和教育部で
「芦原小学校発展的解消」という大きな事業を一緒にしていた仲間です。

こんなこともありました。
父と幸田先生の2人で但馬に出張中に突然、父は脳血栓で倒れました。
その父を幸田先生はすぐに病院に連れて行って下さいました。
それで父は助かりました。幸田先生は父の命の恩人でもあります。
それから10年後、私が勤務していた平木小に幸田先生が校長として
赴任して来られたのです。この巡り合わせにも驚きます。
そして、その時に「優しい」という意味を教えて頂いたのです。
それを私は講演でいつも話しているのですが、今回西宮北高校で
幸田先生のお孫さんが聞いていたということです。

天国の幸田先生、
そして天国の父にも
報告したい新聞記事でした。

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Posted by naka602 at 22:32 | TrackBack (0)


2019年1月17日
あの日は忘れられない
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1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災。あの日から24年が経ちました。

「あの日を忘れない」という言葉もよく聞きますが、
「あの日は忘れられない」が本当です。


今朝も黙とうしながら、頬に涙が流れます。
いろいろな思いや映像がフラッシュバックします。
たぶん、これは一生続くのでしょう。

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Posted by naka602 at 22:30 | TrackBack (0)


2019年1月13日
藤浪らしさで復活や!
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大阪桐蔭の藤浪晋太郎が阪神タイガースに指名されたのが2012年10月25日です。その直後の10月31日付けの藤浪のサインを私は持っています。まだ普通の字体で書いた「藤浪晋太郎」です。そして直後にファンが作った藤浪Tシャツもいただきました。

翌2013年2月の沖縄キャンプでは、
タイガースと同じホテルに泊まっていた私はお風呂で藤浪と出会うのです。
すぐに近づき
「藤浪くん、頑張れよ〜。応援してるよ〜」
と握手をして、着ていた藤浪のTシャツも見せると、藤浪は
「ありがとうございます。頑張ります」
と笑顔でこたえてくれました。
それ以来、ずーっとずっと藤浪を応援しているのです。

でもここ3年ほど調子が上がらず、心配してました。
専門家がいろいろ指摘していましたが、私は素人ながら
「こうしたらいいのになあ」と思っていたことがありました。
それは「ワインドアップ」で投げればいいのになあと思っていたのです。
高校時代、そしてプロに入ってからも当初は「ワインドアップ」だったのに
コントロールをつけるために「ノーワインドアップ」になったのです。
腕をあげて思いっきり投げてた藤浪が、腕を上げずに投げるようになって
なんだか豪快さがなくなったと私は思っていました。
コントロールなんか気にせずに思い切り投げたらいいのになあ、能見投手の
ように、大きく手を振りあげる「ワインドアップ」が藤浪らしいのになあ
と思っていました。

その藤浪が、今回私の大好きな武豊騎手のトレーニングジムで色々学んだ
ようです。筋肉の使い方とか身体の効果的な動かし方とか・・・
そして鳴尾浜での自主トレでなんとなんと
「ワインドアップ」で投げていたのです。
「そうやそうや、それでええんや!」
生意気ながら私は叫びました!
これで藤浪は復活する!私は確信しました。
「頑張れ、藤浪晋太郎!」

お正月、近くのバッティングセンターに行ってきました。
バーチャル投球で藤浪の球を、私はなんとホームランしました!
あの藤浪から打ちました!
ちなみにその時、
藤浪は「ワインドアップ」で投げてきました(笑)

2月には本物の藤浪に会いにまた沖縄へ行ってきます。

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Posted by naka602 at 22:28 | TrackBack (0)


2019年1月4日
巨星墜つ
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年に1回の年賀状ですが、近況がわかるので、すごく懐かしく、とても嬉しく、そして会いたくなるものです。でも時々悲しいこともわかってしまいます。

全然知りませんでした。
私の大師匠である土谷正規先生が亡くなられたことを。

ちょうど1年前にお手紙をいただいた時は、
達筆で、まだまだ衰えぬ教育への思いがたくさん書かれていました。
「もうすぐ100歳を迎えます」
そんな言葉もありましたが、私の中ではそんな感じは全くしなくて、
あの日野原重明先生の姿とダブって見えるほど元気な姿しか想像でき
ませんでした。
昨年11月に、99歳で天国へ召されました。

土谷先生と出会いは、私が25歳の時です。
淡路島の石屋小学校での研究会で講演されていたのが土谷先生でした。
講演で話される一言一言が、私の心の中にぐんぐん入ってきました。
今でもその時の衝撃は忘れることができません。まさに運命の出会いでした。
それ以来、ずーっとずっと土谷先生の下で勉強をしてきました。
月に1回は奈良に行き、土谷先生の話を何度も何度もききました。

土谷先生が研究会の講師に呼ばれると、私も付いていきました。
カバン持ちのようにそばで話を聞いていました。
カバン持ちと言いながら、土谷先生のカバンは持ったことがありません。
土谷先生は「自分の物は自分で持つ」。人に持たせることなど一切しない
先生でした。(法則化の向山先生は弟子に持たせていました、偉そうに)

私の教育の源は「土谷教育」です。

「子どもの躍動を望むなら教えないことです。教師が指示・教示をして
 子どもが『出来た』と喜んでいる姿は躍動ではありません。
 指導の半分は我慢して待つことです。あとの半分は子どもの中に
 飛び込むのです」

この土谷先生の言葉は、私の授業づくりの原点です。
だからこそ「法則化運動」や「授業のスタンダード化」について
私は異議を唱えるのです。あれは躍動ではない、と。

私の講演のスタイルは、実は土谷先生の真似なのです。
土谷先生は、研修会の時も、身振り手振りでお話をし、時には机から
離れて、這いつくばる姿を見せながら、話されるのです。
普段は背筋をピンと伸ばして歩く土谷先生が、授業になるとこまねずみ
のように動き、子どもの横に寝そべり、子どもの気持ちを理解しようと
されるのです。

私がよく言う「かまぼこ先生」は
土谷先生からいつも言われていたことです。
黒板の板から離れなさい、かまぼこ板のような先生はダメです。
あの子のそばに自分から足を運ぶのです。
集合する時は、一番遅い子のそばで合図をかけるのです。
クラスで一番しんどい子が目を輝かせる授業をつくるのです。
私の同和教育、人権教育は、この土谷教育が元になっています。

土谷先生は、長らく奈良女子大附属小で教鞭をとり、私がお出会い
した時はすでに退職し、奈良文化女子大教授をされていました。
附属小では岩井邦夫先生(現東海学園大学)が土谷教育を継承され
ていました。
土谷正規⇒岩井邦夫⇒仲島正教⇒元気塾⇒全国講演 
が私の中での継承図になります。


かつて体育の世界では「東の高田典衛、西の土谷正規」でした。
そんな二つの大きな星がとうとう見えなくなりました。

「巨星墜つ」

土谷正規先生、
これまで本当にありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。

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Posted by naka602 at 22:26 | TrackBack (0)


2019年1月1日
2019年のスタートです
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昨年母が亡くなったので喪中ですが、新年のあいさつも自粛なんてことはしません。喪に服していますが、それは故人のことをしっかり思うことで、お祝い事は一切ダメなんて思わなくてもいいと天国の父も母もそう言っていると思います。
年賀状は一応出していませんが、喪中ハガキも出していませんので、元旦には年賀状が来ると思います。そのお返事はさせていただきます。年に1回の近況報告の時でもありますので、切りたくないというのが私の考えです。
ということなので、

2018年
新年あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします。

6月には63歳になりますが、
まだまだ元気で頑張る所存です(笑)
身近な目標は「明石家さんま」さん。
1歳年上のさんまさんが頑張る限り、私も頑張り続けます。
さんまさんがしゃべり続ける限り、私もしゃべり続けます(笑)
そして私の父は79歳で亡くなりましたので、
80歳までは生きたいと思っています。
憧れの目標は「三浦雄一郎」さんと「加山雄三」さんです。
あんな80代になりたいです。

そして小さな目標ですが(私の中では大きな目標)
今年は野球の試合にも出られるようになりたいと思っています。

そんな私ですが、
今年もどうぞよろしくお願いします。

みなさんもステキな1年になりますように。
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Posted by naka602 at 22:23 | TrackBack (0)