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2010年2月28日
学生への声援
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先週末に鳥取に行ってきたのですが、
鳥取駅も米子駅にも、たくさんの若い子がウロウロ・・・・・・・何事?って
思ったのですが、すぐにわかりました。この日は国公立大学の前期試験でした。
地元の鳥取大の受験生でいっぱいだったのです。
食べ物屋さんには、「合格とんかつ弁当」や「受験生特別割引」の紙が貼り出して
ありました。 JRも 「特急ビクトリーはくと」 という臨時列車も運転されていました。
 
大学受験って・・・・もちろん本人は大変ですが、親もホンマ心配です。
親は祈る以外何もできないのですからね・・・・。
昔は受験生の気持ちがよくわかりましたが、今は親の気持ちが痛いほどわかります。
 
そんな光景を目にして、受験生にも親にもホント声援を送りたくなりました。
 
 
我が家の息子もそんな大学受験からもう4年経ち、この4月からは社会人です。
苦労して入ったと思ったらもう卒業ですわ(笑)
4月になれば私の保険証から息子の名前もなくなり、とうとう一人になります。
これで家族みんなが一人立ちです。
うれしいことです。(でも、ちょっとさびしいかな(笑))
 
その息子は、今、卒業旅行ということで
4年間共に過ごしたバスケ仲間と一緒に、アメリカに行っています。
全米プロバスケット(NBA)の試合観戦ツアーです。
バイトで貯めたお金でけっこういい席をゲットしたようです。
4年間バスケットづけの彼らにとっては最高の卒業旅行だろうと思います。
そんな彼らを、羨ましくそして眩しく感じています。
きっとみんないい先生になってくれるでしょう。
 
そんな彼らにもいっぱい声援を送ってやりたいです。
 
 

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Posted by naka602 at 00:04 | TrackBack (0)


2010年2月24日
里帰り講演 その2
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先日に続き、里帰り講演 その2 です。
 
今日は大阪市西淀川区の出来島小学校に行ってきました。
この小学校は、私の母校です。
出石で生まれ、1歳の時に大阪の出来島に移りました。そして中学校の途中までを
過ごすのですが、ここが私の少年時代の思い出がいっぱい詰まった土地です。
私の大阪弁のルーツがここ出来島です(笑)
 
この出来島小学校を1969年3月に卒業し、10年後再び教育実習で出来島小に
お世話になりました。 今日は、卒業後41年、教育実習後31年目の里帰りでした。
 
本当に懐かしかったです。玄関を入ると同じ場所に職員室がありました。
でもこんなに廊下が狭かったのですね。(昔は広かったと思いましたが・・・)
天井には昔と同じ円い電球が光っています。(古っーー)
校舎探検にいくと、階段横の広かったピロティが耐震工事のため、壁ができて
ただの廊下になっていました。(このピロティでどれだけ遊んでどれだけ怒られたか)
昔、新校舎だった建物がめちゃ古くなっていました(そりゃ40年も経つからな)
教室は昔と一緒でした。そして何より、子どもたちが昔と一緒の制服を着て、昔と一緒の
校章のついた黄色の帽子をかぶっているのです。40年前とまったく変わっていません。
なんか40年前にタイムスリップしたみたいでした。
 
そして講演前にサプライズです。
ナント私の小学校の時の先生が、講演の噂を聞いてかけつけて下さったのです。
板井先生と川合先生です。いやーーーびっくりすると同時にこんなにうれしいことも
もありません。もう退職されていますが (そりゃ私が53歳ですのもね) お元気そうで
安心しました。講演の最中に写真なども撮ってくださっていました。
終わってからは、涙を流しながら 「ナカジマ君、ええ講演やったよ」 って・・・・・。
先生にほめられるとやっぱり今もうれしいですね。
 
講演の中で、昔の出来島のことも話しました。(おかげで90分の講演が105分に)
開校当時(1964年)の写真も大きく延ばして持っていきました。
学校に着く前に、出来島町の散策もしました。(1時間前に来て歩き回りました)
いつも通っていた散髪屋さんの「南国」の話もしたのですが、講演後
「私の家が『南国』ですよ」 と話してくださったお母さんに出会い、びっくりしました。
 
今日はとにかく、ずっと興奮気味でしたね。
出来島に来れたことがうれしくてうれしくて・・・・本当にうれしくて・・・・。
そんな「里帰り講演 その2」でした。
 
 
※今回の講演依頼に関しては、私が出来島出身ということはまったく知らなかった
  そうです。あとでそのことがわかり、担当者もびっくりしたそうです。
  まあ一番びっくりしたのはこの私ですけどね(笑)
  この不思議な縁に感謝しています。
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:28 | TrackBack (0)


2010年2月19日
里帰り講演
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19日、兵庫県北部の豊岡市出石(いずし)町の弘道小学校での講演でした.
出石町は私が生まれた所です。ここで1歳まで過ごし、その後大阪に移りました。
夏休みになるといつも出石に帰り、おばあちゃんの家で2週間ほど過ごしていました。
すぐ近所にあった弘道小学校もその遊び場の一つでした。
そして、この弘道小学校は、私の父と母が出会った場所でもあります。
そうなのです、2人はここで出会い、職場結婚し私たち姉弟が生まれたのです。
 
そんな懐かしい場所への里帰り講演でした。
弘道小学校は、昔の場所から山際に移転しモダンな校舎に生まれ変わっていました。
校長室に通され、校長先生から名刺を渡され・・・
「この名前に覚えはありますか? 私の実家は材木町の端っこにあった駄菓子屋です。
 仲島さんのおばあちゃんの家と同じ通りでしたよ」
「えっ、あの駄菓子屋さんですか!あのお店で私はどれだけお菓子を買ったことか
 どれだけアイスや飲み物を買ったことか・・・あーーーあのお店だったんですね」
「きっと何度か一緒に遊んでいますよ」
「すぐ横の神社で、遊んだんでしょうね・・・・わぁなんか思い出してきましたよ」
 
弘道小学校は、「弘道館」という昔からの伝統のある学校なので、歴史的なものも
たくさん残っているのですが、
「仲島さんに見てほしいものがあります」 と言われ案内されたのが
弘道小学校の昭和28年制作の校舎模型です。ガラス箱に入った1.5m×1.5mほどの
大きな校舎模型です。なかなか精巧にできています。
「そこを見てください。制作者の名前です。4人書いてあるでしょ」
ナントそこに 「仲島正雄」 の文字です。
そう父の名前です。しかもその字体は父のものでした。
父の若かりし頃の作品がまだ残っていたのです。
 
講演が終わってから、一人のおばあさんが来られ
「私は若い時、お父さんともお母さんとも同じ学校で働いていたんですよ。
 講演会の案内の『仲島』の文字を見て、もしかしたら・・・と思って学校に来ました。
 すばらしい講演に感動しましたよ。やっぱりお父さんの息子さんやなって思いましたよ。
 本当にありがとうございました」
 
 
帰りに、父のお墓に寄ってそんな報告もしました。
 
父のお墓は、実は今の弘道小学校の裏山にあります。
そして弘道小学校の方を向いて建っているのです。
 
父が亡くなってもうすぐ2年、少しは親孝行ができたでしょうか。
 
 

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Posted by naka602 at 20:37 | TrackBack (0)


2010年2月17日
卓球もがんばって!
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昨夜(16日)、池田市の若手教師の自主サークル「池田未来塾」に行くと、
リーダー役の田阪先生が 「ブログ毎朝いつも楽しみに見ています」 と笑顔で
話しかけてくれました。そして、「体育科教育」もわざわざ持ってきてくれ
「僕もカルガモ一家を目指します。そしてオリンピックも見たいです(笑)」 
 
1週間ぶりのブログ更新です。田阪先生、お待たせしました(笑)
 
今日が、宝塚・安倉小の最後の校内研修会でした。
3年間で計21回、安倉小を訪れました。授業も何度も何度も見せていただきましたし、
授業づくり・学級づくりの座学研修の他にも2度ほど体育実技研修もするなど、
けっこう多彩な21回の研修会でした。先月末、そのまとめとしての研究発表会も行い、
市内市外の多くの先生方に安倉の先生方や子どもたちの頑張りを公開しました。
 
この3年間、子どもの見方や指導案の書き方から授業の展開についても、厳しい指摘
を何度もさせてもらいました。嫌な思いもされたことも多々あったと思いますが、安倉の
先生方は本当に一生懸命に取り組んでおられました。厳しい状況の子どもがいる中、
「あの子の目を輝かせたい」 そんな真摯な取り組みには脱帽するばかりでした。
 
今日の最後の研究会では、
「大変だったけど、やってよかった」
「初めて研究発表会を経験しましたが、私も子どもたちも自信がつきました」
「なにより子どもたちが生き生きしてきたのがうれしい」
「数年前の職員室とは大違い。いい雰囲気の職員室になりました」
 
いろんなことが思い出されたのか、話しながら思わず涙ぐむ先生もおられ、
3年間の苦労が報われた感じがしました。
最後に、研究担当の西尾諭先生が話されました。
「私たちの本当のスタートは、今日からです」
 
来年度から私は離れますが、これまでと変わらず安倉小の応援団として
外から声援を送っていきたいと思います。
安倉小の先生方、本当にありがとうございました。
 
 
帰り際、西尾先生から
「先日、教員の卓球大会でS小学校に負けました」
すかさず私は
「えっ、負けたの。あかんあかんそんなあかん。研究発表会をしただけでは
 あかんねん。卓球もがんばらなあかんで!今度は卓球や!」
 
 
 
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 06:54 | TrackBack (0)


2010年2月10日
GReeeeN の歌
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明日から3泊4日(11日〜14日)で、関東・中部方面に行ってきます。
茨城県竜ケ崎市、笠間市、鉾田市、岐阜県各務原市、そして横浜市
の5か所に行ってきます。
その間のメール等の返信ができませんのでお許しください。
 
今回茨城県で、中学生への講演もあるのですが、
最近若者向けには、GReeeeN(グリーン)の曲をよく使っています。
今回も、「歩み」 と 「扉」 を使う予定です。
中学生にしてみたら、「なんでこんな50歳のおっちゃんがGReeeeNを知ってるねん」
と思うでしょうね(笑)
 
 
昨年末、ある高校で3年生対象に
「こんなお母さん、こんなお父さんになりたいな」 というテーマで、
高校生向け「家庭教育講座」をやりましたが、
その中で、GReeeeNの 「父母唄」 という曲を使いました。
 
   父母唄
幼い頃 あれは夏のあの日 あなたの背中で寝た帰り道
遊び疲れ 僕遅くなり あなたに心配かけていた日々
あれからいくつか年月も過ぎ 少し生意気盛り反抗期
体当たりで叱るあなたの心の奥に少し触れました
すべて受け入れてくれたよね 素直になれず悲しくさせた
こんな僕にいつもいつでも 笑いかけてくれて
父よ母よ ただありがとう 何もできない僕だけど
あなたがくれた愛のすべて 強く抱きしめ生きてく
 
いつからか距離が生まれては 自ら親と離れていた
恥ずかしいとか ウザイとか言って格好ばかりつけてた
だけどたまに見かけた寂しい顔がかなりバカらしい悲しい過去
って気づいたから 僕の方から 今度電話かけてみるから
いつもあまり話さないけど 「しつこいよ」と言ってしまって
それでもあなた いつも温もりをくれた こんな僕に
父よ母よ ただありがとう あなたの子として生まれて
これ以上ない幸せを 抱きしめ 噛みしめ 生きてく
 
僕が生まれ 今までの中で あなたに何か返せたろうか?
だけどひとつ言えるとしたら 「いつもありがとう」
父よ母よ ただありがとう 何度言っても足りないよ
あなたがくれた愛をすべて 言葉にできたらいいのにな
 
 
講演終了後、ある男子高校生の感想です。
「僕はこの高校生活の中でたくさんの問題行動を起こしてしまいました。
 その度に両親は一緒に謝ってくれました。この前、部活の集まりで親に感謝の
 手紙を読んだのですが、やっぱり僕は迷惑をかけすぎたなと思います。
 こんな僕なのに18年間育ててくれた親に本当に感謝しています。
 でも恥ずかしいから 「ありがとう」 なんて言えないと思います。
 でもいつか必ず 「ありがとう」 と言いたいです。」  
 
 
GReeeeN 「父母唄」は、高校生の心に響いたようです。
 

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Posted by naka602 at 23:45 | TrackBack (0)


2010年2月8日
まあええやんこれぐらい
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 先日、ある学校で4年生の体育の授業を見させてもらいました。ボールゲーム
をしていたのですが、審判のジャッジをめぐってもめごとが起こりました。
「出た!」 「出ていない!」
両チームがもめそうになり、審判に非難の目が注がれそうになった時、ある子が
「まあええやんこれぐらい。さあ始めようよ」
と不利な判定を受けたチームの子が、元気な声を出してすぐに再開しました。
「うん、やろやろ」 「さあ、がんばろう」
なんかさわやかな空気が流れました。
 
 
「まあええやんこれぐらい」
今、この言葉はなかなか言えない社会状況のような気がします。
少しのことでも厳しく追及されることが多いような気がします。
今、新聞紙上をにぎわすトヨタのプリウスの問題もそんな感じがします。
トヨタは結局全車リコールするそうですが、技術者の会見によると、
苦情が出たABS(アンチロックブレーキシステム)の件は
不具合ではなく、実際にはブレーキは効いているのに効いていない感覚に
なってしまうだけで安全上は問題はない、ということでした。
でも世間やマスコミは、それを許さないのですね。
(※アンチロックブレーキシステムとは、スリップを防ぐ安全ブレーキ装置のこと)
実は以前、私も初めてABSの車に乗った時、ブレーキをグッと踏み込むと一瞬、
車がスーと滑っているような感覚になったことを覚えていますが、「そんな感じになり
ますが大丈夫ですよ。これでしっかり効いているのです」と説明を受けていました。
今回、トヨタは安全上問題はないがお客さんがそう感じるならそれを直そうと
サービス対応で処理しようとすると、そのやり方にまたまた大きな非難を受け、
結局全車リコールになったようです。
 
なんか厳しすぎるような気が私はするのですが・・・・・。
そんなことを言うと、今度は私が非難されるのかなあ・・・・。
(朝青龍もかわいそうだなと思う私は甘すぎるのかなあ・・・)
 
もちろんダメなことはダメだし、安全が最優先も当たり前だし、
きちんとした対応も謝罪も必要なのはわかっています。
でもなんか世知辛い世の中ですね。
そういうことが社会にも教育にも子育てにも入り込んでくると、少し息苦しくなります。
「まあええやんこれぐらい」 はダメなのかなあ・・・。
 
 
実は、
今度の「体育科教育3月号」(来週発売)の私の巻末エッセイの題は
「少し大目にみてほしい」 
なのです。
 
 

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Posted by naka602 at 07:20 | TrackBack (0)


2010年2月1日
うれしいことがいっぱい
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ここ数日は忙しくてなかなか書けなかったのでダイジェストで・・・。
 
27日塩瀬公民館(名塩小PTA)での講演・・・20数年前の名塩小時代の教え子Mの
のお母さんと教え子Hのお父さんが駆けつけてくれました。そのお父さんは、今アメリカ
に住んでいる娘からのメールでわざわざ来てくださいました。お父さんが一人で誰も知ら
ない所へ来るのはけっこう勇気がいるものです。そのお父さんの姿に感動しました。
 
27日の午後は平木小学校での研究授業・・・授業者は玉田恵子先生。 彼女が
新任の時に私と一緒の学校でした。あれから12年、本当にいい先生になりました。
落ち着いた授業ぶりとその成長に感心してしまいました。よかったぞ玉ちゃん! 
 
28日、宝塚・安倉小の研究発表会・・・今までいろいろ苦労はありましたが、すばらしい
研究発表会でした。安倉の先生方は3年間におよぶ私のきつい助言にもめげず、本当に
よくがんばっていました。安倉の先生方に、ハナ丸の五重丸をあげたいです。研究担当
の西尾先生の心のこもった研究報告に、グッときてしまいました。
 
29日、静岡県掛川市での人権講演会・・・講演会を終え、夕方掛川駅に戻ってくると、
ナント新幹線が架線事故で全面ストップ。結局この夜は掛川に泊まり、翌朝西宮に帰
ってきました。そうなんです、私はあの新幹線事故に巻き込まれていたのです(笑)
 
30日、伊丹市中央公民館での市民講座・・・2時間の講演が終了し、係の方に呼び出
されて行ってみると、ナントそこには私の母親が。 「えっ、いつ来てたの?聞いたの?」
私は恥ずかしくて母を講演には呼んだことはなかったし、母親もそれがわかっていたので
来たことはありませんでした。今回、母親の知り合いに、是非!と誘われたようです。
初めて聞いた息子の講演に、母は少しホッとしたようです。現在85歳ですが、今もやはり
息子のことは心配なのでしょう。私の講演に多くの人が集まり、笑ったり泣いたりして会場
が盛り上がる様子に安心してくれたようです。ほんの少し親孝行ができたかな(笑)
 
30日、西宮市民会館・・・太鼓集団「怒り」公演。約1000人がアミティホールに来て下さ
いました。「感動した」という感想がたくさんありました。 Mさん、よかったなあ。
 
1日、西宮・甲東小学校PTA講演・・・5年前、私がまだ市教委の時に訪れた時の甲東小
の担当の方が、その時の資料と感想を持って参加してくださいました。あの時の感動をも
う一度、ということでわざわざ来てくださったのです。また今回の担当の方の小さな心遣い
にも感動しました。私がタイガースファンということで、机のお花の中にタイガースの物が
仕込んであったり、机の上にもタイガースの敷物、水が入っているペットボトルもよくみる
と手作りのタイガース仕様になっていました。 このワザワザに感動です!
 
1日、西宮・高須小学校PTA講演・・・14年前私が勤めていた学校です。その時の教え子
のお母さんが今のPTA会長です。 「先生、来てくれる?」 「もちろん、行くで!」 
今日はその時の教え子S君とN君も来てくれました。彼らは22歳。かっこいいい青年に
なっていました。そしてびっくりしたのが、新任時代の教え子N君です。現在この校区に
住んでいるのですが、街のポスターを見つけて参加してくれました。N君はもう37歳に
なりました。(どうりで私が53歳になるわけや・・・)
それから、講演途中にもう一人、教え子M君のお母さんを見つけました。私は、急きょ
内容をM君が出てくる話に変更しました。(勝手に内容変更です(笑))
M君の話をした時に、M君のお母さんの表情が少し和んだのが見え、ホッとしました。
そんなうれしいうれしい高須小学校の講演会でした。
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:06 | TrackBack (0)