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2010年4月27日
優しい娘
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夜中、たまたまテレビをつけると、明石屋電視台20周年SPという番組をやって
いたのですが、何気なしに見ていると・・・オモロイ場面がいっぱい出てくるのです。
さんま、寛平、ジミー大西、村上ショージ、中川家・・・・
リビングで一人、腹を抱えて笑ってしまいました。ホンマおもしろかったのです。
夜中なので一応声を抑えて笑っていたのですが、娘の部屋には聞こえていたようです。
朝起きると、娘が言います。
「お父さん、めちゃくちゃ笑ってたでしょ。父さんの笑い声を聞いて、私もベッドで笑って
しまったよ。ホンマ気楽なお父さんやねんから・・・(笑)」
そんなことを平気で言う娘です。
 
 
そんな娘ですが、我が家では一番優しい子です。
家族4人の中で世渡りは一番下手かもしれませんが、自分のことをさしおいて、
人のために動いてくれるのは、娘が一番です。
友だちのためにコツコツと何かをしている娘をよく見てきました。
また、自分がしんどくても母が疲れていたら足をマッサージしてくれるし、弟には文句を
言いつつも、いつも応援し気にかけてくれています。
私の母は、宝塚で一人で住んでいますが、娘はたまの休みでも、おばあちゃんを訪ねて
話し相手になってくれます。私は母から電話がかかってくると素っ気ない返事をする時が
ありますが、娘はいつもおばあちゃんの長電話にも快く付き合ってくれます。
 
私の父が亡くなる前、認知症状が出た際に、娘は
「おじいちゃんも、この写真を見たら、きっと思い出すし、笑顔になるよ」
と自分たち孫とおじいちゃんが写っているミニアルバムをつくってくれました。
ミニアルバムは出来たのですが、その後の状況の中で見せる機会はありませんでした。
 
お通夜の日、娘の机の端においてあったミニアルバムを私は持っていきました。
夜中にお棺を開けて、そっと父に見せてやると父の顔が少し和らいだ気がしました。
 
 
今日は、そんな優しい真悠子の28日目の誕生日です。
85歳の母も、宝塚から 「まゆちゃん、おめでとう」
父も天国から 「真悠子、おめでとう」 って言ってくれていると思います。
 

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2010年4月26日
2010夏季セミナーのお知らせ
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今年の夏季セミナーの要項が決まりましたのでお知らせします。
 
【2010夏季セミナー in 神戸】
 
日時  8月7日(土) 10:00〜17:00
 
場所  兵庫県民会館 (神戸市中央区  JR元町駅 徒歩5分)
 
内容  ★子どもと本と学びをつなぐ 〜こんな時こんな本を〜
         講師  曲里 由喜子 (帝塚山学院大学非常勤講師)
     ★子どもたちにどう向き合うか 〜ディズニーから学ぶ “ぬくもり” 〜
         講師  大路 亨 (元小学校長)
     ★学級づくりABC 〜ちょっとしたワザワザが子どもの心を動かす〜
         講師  仲島 正教 (元気が一番塾主宰)
 
参加費  3000円 (当日徴収)
 
要申込  定員75名 先着順
       申込は、Eメール bffsb369@ybb.ne,jp  
 
 
 
※今年は、神戸開催です。 
 夏季セミナーは申込が必要ですので、 Eメールでお願いします。
 詳しい要項は、HPのトップページの右横の 「夏季セミナー」を
 クリックすると出てきますのでご覧下さい。
 

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2010年4月20日
よかった本当に、狩野!
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よかったよかった本当に。
今夜の広島戦で、狩野が3ランホームランを打って、お立ち台に立ちました。
本当によかったです。
 
狩野恵輔27歳、昨年ほぼ捕手のレギュラーをつかんだのに、城島の加入で
今年は出場機会もなくなり、昨日まで2軍にいました。でも金本の偉大な記録が
止まったことで1軍昇格、そして捕手ではなく外野手としてスタメン出場、そして
3ランホームラン。
苦労人の狩野が、お立ち台で目を潤ませながらインタビューに応える姿に
こちらまで目が潤んできました。本当によかった、ホンマよかった。
 
すぐに狩野のお母さんに電話を入れました。
お母さんも涙声で喜んでおられました。
あのホームランは、お母さんが一番うれしかったことでしょうね。
 
明日のスポーツ新聞、全紙買いますよ!
 
がんばれ狩野! 

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2010年4月19日
大学の授業
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今日から、聖和短大で「教師論」の授業が始まりました。
「教師論」全15時間のうち、私が5時間を持ち、主に実践編を話し、あとの10時間
の理論編を大学の先生が受け持つという形です。
これは学生にとったら、なかなか面白い形と思いますね。
 
今日の授業には、昨年私の授業を受けた2回生の学生がナント20名ほど自主的に参加
してくれていました。実習前にもう一度仲島先生の話を聞きたかったと言ってくれたのです。ホントうれしいことです。
「先生! 1年ぶりです。また先生の授業に参加できてうれしく思います。1年前は1年後自分がこんな状況にいるとは思わずに話を聞いていました。今日改めて先生の話を聞くと去年とは違った感想や思いが心にあります。 「足でかせぐ」 将来そんな保育者になりたいと思います。明日からの実習、がんばってきます」
 
また、こんな学生もいました。
つい4か月前、私は市立西宮高校の3年生に
「こんなお母さんお父さんになりたいな」 というテーマで家庭教育講座をしました。
その講座を受けた高校生が、聖和短大に入学していたのです。
「私は、市西宮高校出身なのですが、高3の卒業前に一度仲島先生の講義を受けた
ことがあります。その時、先生が 「お母さんにありがとうって言ってごらん」 と話された
ので、その夜お母さんに 「ありがとう」 って言うと、お母さんからも 「ありがとう」 って
言われ、なんかめちゃ感動してしまいました。先生とは、もう二度と会えないと思って
いたけど、聖和でまた会えて本当にうれしかったです。本当にうれしくてたまりません」
 
それから、こんな学生もいました。
私の教え子の妹です。お姉ちゃんが6年生の時の2年生ですから、私のことはよく
覚えていなかったはずですが、家に帰ってから、確かめて 「やっぱり!」 と感動して
くれたようです。(夜にお母さんからメールが届きました)
 
人とのつながりって、うれしいものですし、本当に温かいものです。
今年の大学の授業は、そんな幸せを感じながら始まりました。
 
 
授業後、こんな感想を書いてくれた学生もいました。
「私は入学してから、今も不安なことばかりで、今日も学校に正直行きたくありません
でした。学校をやめようかとも考えました。友達ができず、人としゃべるのがちょっと
苦手で。・・・・・・・でも今日先生の話を聞いて元気になりました。がんばってみようかと
思いました。ありがとうございました」
 (Aさん、きっと大丈夫だよ、応援していますよ。仲島)
 
 

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2010年4月17日
今日の元気塾は遠足の話
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新学期初めの元気塾は、遠足の話。
5月は遠足シーズンです。
その前に 「楽しい遠足」 にするための秘策?を伝授しました(笑)
 
遠足の意義に始まり、
「おやつ」の楽しさや「しおり」の作り方、そして下見の重要性やお弁当の食べ方まで
いろんなことを話していきました。
新任の先生からは、
「引率の仕方や並び方はとっても参考になりました。電車ではどのドアから乗せると
いいのか、まったく知らなかったので勉強になりました」
という感想ももらいました。
 
また今回は、
私が作った「模擬しおり」をみなさんに配り、その紙を折って切って
簡単な遠足冊子を作ってもらいました。
(前日、私は10年ぶりに模擬の遠足のしおりを作ったのです)
ある方からは
「今日もらった遠足のしおりは、今まで小学校、中学校、高校でもらったしおりより
 一番遠足への期待度が高まるしおりでした」
と言ってもらいました。
簡単にできる「オモシロしおり」の作り方でしたが、ウケてよかったです(笑)
 
最後は、
私のクラスで起こった「弁当の輪」事件という感動の話をして終了しました。
 
遠足はワクワクドキドキ、そんな楽しい行事であると同時に
子どもたちが成長する絶好の機会なのです。
遠足は、すばらしい学習の場なのです。
             「たかが遠足、されど遠足」
 
 

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2010年4月16日
曲線も大事
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今朝の朝日新聞の天声人語にこんな文が書いてありました。
その一部を抜粋して紹介します。
 
言われて気づけば、目に映る自然の造形に直線はない。山も川も、木の葉も雲も、ことごとく曲線である。造物の神は定規を持たなかったようだ。片や人間の造ったものは、ビルにせよ橋にせよ、直線に満ちている。
直線を発見し、そこに最大の効率を見いだしたのは人類の英知だったかもしれない。2点を結ぶ最短距離である。さりとて人の生き方にも直線を求めすぎれば、社会も潤いも活力も失いかねない。大学生の就職をめぐる動きにそうした思いがよぎる。
1年生のうちから「就業力」をつける教育を、文科省が支援するそうだ。就職活動はいま、早々と3年の夏ごろに始まる。それでも遅いのだという。入学前から「就活」で個人面談をしたり、父母への説明会を開いたりする大学もあるというから驚く。
入学から就職までを最短距離で駆け抜ける。その成功者を「勝ち組」などと呼ぶ。道草の許されない大学生活を、老婆心ながら案じてしまう。もちろん学生のせいではない。すべてに保水力の衰えた時代が、豊かな曲線を封じてしまうのである。 ・・・・・・・
 

 
先日、教育雑誌を読んでいると、こんなことが書いてありました。
教育大学に対して、現場の教育委員会からこんな要望があるというのです。
「即戦力になる学生を育ててほしい」 
 
「すぐにいい先生」という教育委員会の気持ちもよくわかりますが、そんな焦りが
面白みのない教師や、元気のない教師を生み出しているのではないかと思うのです。
この4月から多くの新任教師が着任しました。
いろんな事に戸惑い、即戦力になっていない若手教師もたくさんいると思います。
教育委員会、学校、そして保護者のみなさん、
どうかそんな新人教師を温かく見守り、じっくりと育ててやってほしいのです。
必ずしも、そんな新米教師に出会った子がかわいそうとは言えません。むしろその子に
とっては、すばらしい出会いなのかもしれないのです。
思い出してください、昔私たちが若い先生と出会った時のことを・・・・・。
 
 
最短距離の「直線」も大事だけど・・・・・道草の「曲線」も大事です。
 
 
ちなみに私は、
今週、北海道の仕事を「曲線」でやってきました。
その気になれば、日帰りもできる北海道(札幌)の仕事でしたが、
前泊し、札幌ドームにプロ野球観戦に行き、(札幌ドームは凄い!)
後泊し、キロロに行って、春スキーを楽しんできました。(スキーは最高!)
 
 

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2010年4月12日
北海道に行ってきます
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今年度の最初の仕事で、北海道へ行ってきます。
いつものことながら13日〜15日の3日間はメール等の返信もできなくなります。
 
北海道へは、3年ぶり5回目の講演の仕事です。
我が家では、
このくそ忙しい4月に、一人だけ楽しい仕事に行ってズルイと言われています(笑)
ホントみなさんに申し訳ないですが、北海道に行ってきま〜す!
昨日、札幌は雪が降っていたそうです。 えー雪!ホンマびっくりです。
ダウンジャケットを持っていくことにしました。
 
これまで行った北海道の講演の場所は、
長万部の近くの黒松内町(2回)と網走市と帯広市の3か所でしたが、
今回は、札幌市です。
講演は14日なので、13日と15日はどうしようかなと思っています。
(やっぱり遊びや!って言われますね(笑))
では、行ってきま〜〜す!
 
 
※実は、今年度の最初の仕事は、本当はもう済んでいます。 
  尼崎市教育委員会の仕事がすでに2回ありました。
  尼崎市教委は「動く教育委員会」です。 なかなかやりますよ、このメンバーは・・・。
 

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2010年4月9日
新年度が始まりました。
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今年の桜は開花が早かったので、入学式まで桜が持つか心配でしたが、
この寒さのおかげで、しっかり持ちこたえてくれました。
入学式には、桜が一番似合います。
 
我が家も、新年度がスタートしました。
妻は神戸の小学校に勤めていますが、春休みからバタバタといろいろあって
連日帰ってくるのが遅くなっています。春休み中も帰宅は毎日8時を回っていました。
娘は、関西テレビ青少年育成事業団という所で働いていますが、子どもたちを
3月末から4月にかけて、立山キャンプ4日間、そのあと沖縄キャンプ5日間、
と春休みはずっとキャンプに連れていっていました。その後もいろいろあって帰宅は
連日遅いままでした。この週末はやっとゆっくりできるようです。
息子は4月1日より社会人になりました。西宮の中学校の体育教師として働き始め、
休日もクラブ指導に学校に出かけていました。昨夜の帰宅は9時でした。
1年5組の担任で9日は入学式です。
 
と、
家族みんなが忙しい中、私一人が暇にしています(笑)4月の私の仕事は少しです。
だから毎日、3人が帰ってくるのを迎えています(笑)
昼間は掃除や洗濯をして、夕方に買い物に行って、質素な夕飯を作って
家族の帰りを待っています。一応主夫みたいなことをやっています。
 
1年間いろいろ飛びまわっている私なので、この時期は家のために家族のために
しっかりと家の仕事をしないといけないなと思っています。
 
そんな私ですが、来週は3日間ほど家を空けるのです。
北海道で講演があります。
「ええなあ、また北海道に遊びに行って」
と言われそうですわ(笑)・・・・・・・仕事やねんけど・・・・・。
 

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Posted by naka602 at 01:24 | TrackBack (0)


2010年4月7日
巨人 木村拓也コーチの言葉
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巨人の木村拓也コーチが、くも膜下出血で亡くなりました。37歳という若さでした。
なんかショックで、今夜の阪神vs巨人戦は見ていても元気が出ませんでした。
 
 
講演でお世話になっている潟Vステムブレーンの斉藤さんが教えてくれました。
木村拓也コーチが、今年の新人選手の研修で話した内容を・・・。
 
●講義内容
高校時代は4番を打っていて、捕手でした。
19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。
1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。
 
でも入ってみるとちょっと違っていた。
新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。
 
当時、開幕前に60人という支配下登録の枠がありました。僕は登録されなかった。
新聞に任意引退選手と出て、故郷から「2か月でやめるのか」と電話がありました。今の育成選手は、二軍の試合に出られるし、シリウスやフューチャーズがある。僕の時には支配下からもれたら、試合に出られず、ひたすら練習。「何しにプロ野球に入ったんだろう」。今の育成は、野球をやるチャンスがある。どんどんアピールして頑張ってほしい。
 
2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチに言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。結局、2年目は3本ヒットを打ちました。
 
3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインターリーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。
 
4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。正直「何でおれが」と思いました。広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい......僕に入り込むすきはなかった。移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。
 
移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。
 
スイッチヒッターになって、1つ気づいたことがあります。例えば右打者の時、右投手の外の真っ直ぐと左投手の外の真っ直ぐは同じではなく、角度が違う。スイッチヒッターは、練習は人の倍やらないといけないが、右打席の右投手のような、自分の体に近いところから来る球がなくなりました。球種が半分になったようなものです。打つのが一番難しいのですが、体に近いところから遠いところに逃げていく球がなくなった。それに気づいてからは打てるようになりました。プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。
 
今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。挫折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。
 
そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。
 
最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。今までは自分の事だけを考えていました。プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分の事ばかり考えてしまう。しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを持ってほしい。
 
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。
 
 
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
 

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Posted by naka602 at 00:17 | TrackBack (0)


2010年4月3日
沖縄・興南高校 センバツ優勝!
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選抜高校野球 決勝  日大三vs興南
 
嘉手納高校は負けましたが、もう1校の沖縄代表の興南高校が決勝に進出しました。
よし!嘉手納の分まで頑張ってもらおうと、甲子園へ出かけました。
嘉手納の時もアルプス席は超満員でしたから、今回も多くなると思って私は試合開始の
1時間前に球場に行ったのに、すでに満員で3塁側アルプス席には入れませんでした。
しかたなく3塁側アルプス席に一番近い外野席に座りました。
そして甲子園球場を眺めていると、あきらかに3塁側アルプス席を中心にしながら、
お客さんが埋まっていくのです。恐るべき沖縄パワーです。
私のいる外野席でも指笛がピーピー鳴っています。試合前から、もう興奮状態でした。
(今朝6時に、那覇空港から応援のチャーター便が飛んだそうです) 
 
試合は一進一退、すごい試合でした。
大興奮の応援でした。
結局、延長戦の末10−5で興南高校が初優勝しました!
いい試合で、ホンマ感動してしまいましたわ。
関係ない私も涙してしまいました。
 
興南高校の選手たちは、キビキビと行動し、礼儀正しいし、笑顔もさわやかです。
地元では街の掃除もしたりしているそうです。
だからあんなに応援してもらえるのでしょうね。本当にステキな高校生です。
 
 
私は元々高校野球は好きだったのですが、こんなに夢中になったのは久しぶりです。
開会式も閉会式も見て、嘉手納に始まり、興南に終わったセンバツでした。
 
そうそう、
閉会式でうれしい発表がありました。
応援団の表彰もあったのですが、嘉手納高校応援団が優秀賞をもらったのです。
みんなの心が一つになった応援が評価されました。
私もその応援団の中にいた一人です。うれしい〜!
 
さあ、夏も待っていますよ。
夏の大会は出場は1校ですが、嘉手納も興南もがんばれ!

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Posted by naka602 at 23:31 | TrackBack (0)


2010年4月1日
尼崎市教育委員会 「今日行く委員」
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今日4月1日付けで、
尼崎市教育委員会の教育委員の辞令を受け取りました。任期は4年間です。
 
みなさん驚かれたと思いますが、一番驚いているのは私自身です。
なんでこうなるの?って今も不思議な感じです。
地元西宮市ではなく、お隣の尼崎市です。
変な例えですが、
阪神の岡田監督が、今年は同じ関西のオリックスの監督をすることになりました。
「阪神が今も好きだけど、オリックスのためにがんばりたい」
とコメントしましたが、私もそんな思いに似ている気がしています。
後ろ髪は引かれるのですが、同じ子どもたちですから、頑張りたいと思っています。
 
※西宮市と尼崎市は、規模がよく似た都市です。
 両市とも、人口は50万弱、小学校は約40校、中学校は約20校とほぼ同じです。
 私の家から車で、西宮市教委まで約10分、尼崎市教委まで約15分です。
 
ところで、
「教育委員会」ってなんでしょう? ちょっと解説をしておきます。
世間一般で 「教育委員会」 ってよく言われているのは、
正確には 「教育委員会事務局」 というものです。以前私もこの事務局にいて、
指導主事という仕事をしていたのです。
 
「教育委員会」 というのは、
5人の教育委員(市によっては6人)によって構成され、
教育行政の基本方針や重要施策等を決定する合議制の機関のことです。
そして 「教育委員会」 で決定されたことを、
実際に進めていくのが 「教育委員会事務局」 なのです。
流れでいえば、 教育委員会⇒⇒教育委員会事務局⇒⇒現場 という道筋です。 
たった5人ですが、教育委員の役割はすごく大きいのです。
 
ところが近年、教育委員会は飾りのようなもので、実質的にはすべて事務局がやって
いて、教育委員は名誉職のようなものだと批判されてきました。
(政治でいえば、大臣は飾りで実質的には官僚がやっていたというニュアンスかな?)
そんな形骸化された教育委員会は廃止するべきだという意見も出ていました。
 
ということで最近は、教育委員会改革や見直しをする自治体も増えてきました。
尼崎市もそういう流れで、月1回程度の会議だけではダメだ、もっと現場を知らなけ
ればいけないと、現場に度々足を運ぶようになったり、会議の回数も増えてきて
いるようです。 「尼崎は変わろうとしている」 そう見えています。
 
今までの教育委員会なら、私のような人間を入れることはしなかったと思います。
まず、年齢が若いし、肩書もない、まして隣の西宮市の学校にいた人間です。
そんな私に 「先生たちを元気にさせてほしい」 とあの白井市長から言われたら
「ハイ」 というしかなかったのです。白井市長が星野監督のように見えました(笑)
 
 
先生が元気になれば、必ず子どもたちも元気になります。
そんな先生の応援団になりたいなと思っています。
「今日行く委員」 でがんばります。
 
 

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Posted by naka602 at 17:31 | TrackBack (0)